遅ればせながらご報告

このブログを覘いてくださる貴重な皆さま、こんにちは。

遅ればせながら、ご報告させていただきます。

6月13日、無事に女の子を出産いたしました!confident

客観的に見ると?かもしれませんが、親から見れば、

まあかわいい、かわいい、まん丸の女の子、このブログでは”まるこheart04”と呼ぶことにします。

マルコ、いや、マルコさま中心の生活が毎日毎日続いております。

三ヶ月を過ぎ、マルコさまが寝静まった後にやっと時間を見つけて読書を始めました。

マルコさまは、生きる力に満ち溢れているのでしょうか、あまり長くお眠りにはなられません。

でもほんの10分でも活字の世界に入ると、まるこさまがくれる力とはまた違った大きなパワーをもらえるような気がします。

読み続けています!

また、母親になった自分が本にどんな力をもらえるのか、楽しみです。

ブログに本のことを書ける日が来るといいな。

それまで、とにかく、まるこのためにがんばります!

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また帰ってきました!

妊娠が分かったとたん、私という人間が大きく変わってしまった気がした。

食べ物の好みが変わる。好きだったお酒もコーヒーも飲みたくなくなったし、好物のお肉も、納豆も、卵も、どうしても食べたいと思えなかった。果物や野菜ばかり欲しくなって、まるで違う人間になったみたいだった。

大好きな読書が出来なくなった。英語はもちろんのこと、日本語も読み続けられない。読みたいとも思わない。いざ読んでみても、集中力が続かなくて、頭をおいてけぼりにして目だけが活字の上を流れてゆくのだ。

考えてみれば、今まで「私」だと思っていた人間は本当に「私」だったのだろうか。もしかしたら、まだ埋もれている「私」がたくさんいるのかもしれない。本嫌いの私、菜食主義の私…。今までと180度、別人の自分。好きなものが好きじゃなくなるというのは、本当に不思議な経験だった。

妊婦生活前半は、少しの間入院もしなければならず、なかなかしんどい毎日だった。退院したあとも家で安静にするように言い渡され、私は最低限の家事もできずに、ただぼーっと身を横たえて過ごしていた。

逆さに見上げた、窓の向こうに澄んだ青空が広がっていて、本を読むことも、テレビを見ることも、音楽を聴くこともせず、私は日がな一日ぼんやりと空を見つめていた。

あのとき私は、卵をじっと温め続ける親鳥のように、小さな命を生かすためにそこに在る動物となったように思う。ただそのためだけに毎日を過ごす私は、けれど、不思議なことにそれまでの生活より、いっそう、

生きている

ことをひしひしと感じていた。毎日を考え、感じて、何より行動することこそが、人生の輝きであると考えがちだけれど、「生」の輝きというものは何と奥深いものだろう。そしてこの小さな命は、生まれ出る前からもうすでに、私を変化させ、磨き、生きることの深みを教えてくれている。

世の中は良いことばかりでもないし、うまくいかないことも多いし、思うほど楽しさであふれているわけではないけれど、あのとき横になってみた窓の向こうの空の青さには、何だかこの世界の人たちの、純粋で澄んだ祈りが集まっているような気がした。

appleさて、現在妊娠7ヶ月、安定期に入りました。いまは体重の増えすぎが心配なほど、体調も良好ですshineようやく、色々なことをしたいと思う気力がわいてきて、ブログにまた帰ってくることにしました! また活字に触れたいと思うようになり、文章を書きたいと思えるようになりました。今回の文章は、妊娠の初期の様子を私なりに残しておきたいなあと思ってまとめたものです。

次回からは、またぽつぽつ本の紹介を書いていきたいなあと思っていますflair

改めて、ソファの上にいながらにして、ここではないどこかに一瞬で連れて行ってくれる「本」ってすごいなあ、良いなあと感じています。でも英語を読むには、もう少しリハビリが必要かも。久しぶりに読むと、やっぱり続かないです…。

ブログを通して、また皆さんとお会いできることが本当に嬉しいです!またまた今後ともよろしくお願いいたしますconfident

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しばらくの間

しばらくの間、ブログをお休みさせていただきます。

このブログに訪れてくださった皆さま、また必ず戻ってきますので、どうかそのときはよろしくお願いいたします!

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大和の国へ帰ろう

アメリカ南部、ジョージアでの生活がそろそろ終わりに近づいています。アメリカのハートheart01と呼ばれる南部、ここの人たちの優しさに支えられて、本当に楽しい生活を送ることができました。環境のせいではなく、自分の心もちのせいだとは思うのですが、今思うと日本ではずいぶん窮屈な生活をしていたなあと思います。押し寄せる情報に気持ちが右往左往して、自分の真意が見えなくなってしまうことが多かったように思うのです。

日本のテレビが見たかったし、雑誌が読みたかったし、日本で手に入るあれやこれやの商品が欲しくてしょうがなかったときもありました。でも、物や情報が少なかったことが、私にまとわりついている色んな贅肉をそぎおとしてくれたように思います。生活はとってもシンプルになってきました。自分の心の底にある情熱にちゃんと嘘をつかないで暮らせるようになってきたかなあと、今はちょっと不便なのも悪くないわ、と思い返しています。

人生って、何が自分に返ってくるか分からないですね!happy01

アメリカにはさまざまな肌の色をした、さまざまな事情を抱えた、ほんとうに色んな人が暮らしています。そういう人たちを見ていると、小さな小さな閉ざされた場所を、自分の全世界だと思い込み、他人や見えない常識と自分を比べて、落ち込んだり劣等感を感じたり、こうしなくちゃいけないとか、こうするのが普通だと思い込んでいた昔の自分のことを、何て可笑しく悲しくて、そして可愛らしかったんだろうと思ったりします。ある国で外国人として暮らせたことは、嬉しいことも悲しいことも含めて、本当に良い経験でした!

そして、このブログを始めて、離れた場所にいるたくさんの方々とつながることができました。大げさではなく、「私」という一人の人間を、救い出し、勇気づけ、導いてくれた、たくさんの方々にこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

どうもありがとうございました!confident

あらら、こんな風に書いていると、何だかこのブログが終わっちゃう気配になってきていますが、そんなことはありませんよ。今の私の一番の楽しみはなんといっても、帰国したら、日本語の本を思う存分読むこと!(とお風呂)です。

洋書に限らず和書の感想も、これから色々お伝えできればいいなあ、と今からもうわくわくしています。

引越し等の手続きで少しの間お休みいたしますが、大好きな本を手に、また必ず戻ってきます。

それまでの間、このブログを見てくださった皆さまに、どうかたくさんの幸せがやって来ますようにshine

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全然悪くない

本当に落ち込んだり、元気がないとき、笑顔を見せたり、がんばるよ。と答えられないときがあります。

心にまったく余裕がないとき、私は心のドアを閉じてしまうところがあるのかもしれません。実際にはドアは開いているように見せかけていることもあるけれど。ドアにチェーンをかけたまま、半開きの向こうへとむしろ明るく声をかけることもあるけれど。

でもやっぱり、ドアは開けるためにあるのだと気がつきます。 ドアは向こう側に出かけるためにあるのだと思うのです。

気持ちが下を向いて歩いていると、すれ違った子供がにこっと笑いかけてくれます。

沈んだもやもやの中から開いたパソコンの画面に、偶然の贈り物のような言葉が浮かび上がってきます。

落ち込んで、くやしまぎれに作ったパンが奇跡みたいにふんわりと焼き上がります。

涙が落ちないように見上げた空に、飛行機雲がぐんぐんと竜のように伸びあがっています。

地団駄を踏もうとして、ふと道端で見つけた十字架の形の真っ白い花、

愚痴をこぼそうと思った瞬間に、耳に入る小鳥のさえずり、

ため息をついたとたんに、若葉をゆらす風の音色、

そして、ばったり出会った友達の優しい優しい声。

うまくいかないことも多いけれど、こういう日々も悪くない。

迷ったり、悩んだりするのも悪くない。

生きているのって全然悪くない。

何だか説明のつかない何かに助けてもらって、私は今日もふらふら、あたふたしながら、どこまでも続く道を歩いていますhappy01

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"Fear Is Attraction."

最近、自分がほんの少し滞っているのを感じます。周りの人にそう告げても、きっと首をかしげるだろうなあ。

pout「贅沢だよ!」 「暇すぎんじゃないの」 「そんなの全然ましだよ、私なんてさ…」 「もっと日々のことに感謝しなくちゃ」 「あのね、恵まれてるんだから、そういうこと言うもんじゃないよ」

―― おっしゃるとおりですbearing

見た目には分からないであろう、小さな変化が私の人生を少しずつ押し上げていってくれているような、いやいや、その変化というチャンスを逃して無駄にしてしまっているような…。

だいたい、他人のことや外の出来事について感じたり、考えたりするのは厭わないくせして、いざ自分に向き合うとなると、どこ見ていいのか分からないわ、なに話したらいいか戸惑うわで、思春期の中学生並みのシャイぶりを発揮。そんな「自分」と分かり合いたいと思っていたら、こんな言葉に出会いました。

”Fear is Attraction.”

私たちは、本当に本当は「恐れているものに、惹かれている」んだそうです。今、死んでしまったらどうしよう、と恐れるのと同時に、心の深いところでは死ぬことに惹かれているということです。

今大切なひとに何かあったら、お金がなくなったら、恋人や友達に嫌われたら、この仕事を失敗してしまったら、両親の期待に応えられなかったら、と恐れるということは、そういうハプニングが起きることに、心が惹かれているということでもあるのだそうです。

これはなぜか腑に落ちる言葉でした。苦手なことや心配なこと、嫌なことや辛いことをもう一度吟味してみたら、自分が無意識に惹かれている、興味がある、望んでいる、そこまで行かなくても気になるものだったりするのかもしれません。でも、どうしてsign02 原因は一体なんだろう? 

心のなかで起きているいろいろを、ひっくり返して見てみると、全然違う価値観が見えてくるかもなあと思いました。足元ばっかり見て歩いて、色んな方向から自分を眺めることができず、気がついたら行く先が分からなくなっていた私には、ちょうど良い機会なのかもしれません。

といっても、毎日もんもんと眉をひそめて考え込んでいるわけではありません! 友達から教えてもらってパンを焼いたりして、ふわふわとポカポカの春cherryblossomを過ごしておりますよ! 

少しずつ「自分」と会話する時間を増やして、そしていつの日か「恐れ」から手を放して、もっとゆったりと流れに身をまかせて生きて行けたらいいなあと思いますconfident

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振り回されてみたり、みなかったり。

自分の好きなことをとことんやる。情熱を感じることをきちんとやる。だから私は本を読もう。アメリカに来たからには、洋書を読もう。

これが私の最近の誓いであった。好きなことをきちんとやるってけっこう難しい。今までだって、何度も失敗してきた。まず最初は、好きなことや楽しいことに人生のたくさんの時間をさくことに、ちょっと罪悪感があった。学校や会社に行って忙しかったり、しんどい思いをしたりするほうが、うんと偉いことなのだという、訳の分からない価値観を抱えていたのだ。そして何度もふらふらしてきた。そんなに好きでもないのにふりをしてみたり、周りの人に流されて自分の心が見えなくなったりしてきたから、好きなことを肩の力をぬいて楽しむというその芯には、きっと強いこだわりみたいなものも含まれていたに違いないのだ。

他人から何といわれても、形になる何かを得ることができなくても、気にせずに自分の感情を信じて、好きなことをコツコツやっていこう。

と思っていたのだけれど…。

最近、色んな出来事や、周りの友達にひっぱられることが多いのです。そうやって、外からのものや人に振り回されて、読書以外の時間を持つことが多くなっています。前回の洋書を読んだ後、エネルギーを使い果たした感じがあったので、自分でも少し心がよそを向きたがっていたのかもしれません。出来るだけこだわりを捨てて、「振り回されて」みました。どうしても気が重たくなってしまう物事以外は、身を任せてぶるんぶるん振り回されてみることにしました。そしたら、自分は意外にもこんなことも好きだったのか、という新しい発見があったりして、悪くないなあと思っている今日この頃です。

そういえば、反対に「振り回されてみない」ために、面白いことを試したことがありました。ちょうど夫が研修旅行で出かけて一人で暮らしている間に、テレビとインターネットを見るのを止めてみたことがあります。ちょっと頭も心も飽和状態な感じがしたし、だらだらと中毒気味にテレビやパソコンの画面の前から動かない毎日だったので、少しの間離れてみようかなあ、と何となく思ったのを覚えています。

でもね、これはツラカッタ…。

それだけ依存しているってことだとは思いますが、4,5日でパソコンの電源をつけてしまったような記憶があります。もう自分の頭で考えられる大人だから、と思ってもこれだけ情報が飛び交う時代、きっと気がつかないうちに何かに振り回されているような気がします。いつも旅先ではテレビもインターネットも見ないのですが、家ではこれが難しかったです。また試してみようかな。

学校に行って、卒業したら就職して、会社に行って、結婚して、何だか分からないがアメリカで専業主婦をやっている私。

けれどこんな字面では現れない「幸せ」を心につくっていきたいと思っています。自分が幸せかどうかは、他人や世の中が決めてくれるものじゃなくて、自分がそれを生み出していけるかどうかにかかっていると思うからです。

振り回されてみたり、みなかったり。

そんなことを繰り返して、また私は本を手にゆっくり歩きはじめようと思うのです。

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あの日

あの日、どこで何をしていたか、皆さんは覚えているだろうか。

私は家でテレビを見ていた。効果音にすぎない笑い声でにごるテレビの画面にニュース速報の白い文字が流れ、しばらくして全チャンネルがニュース番組に変わった。

急いで夫に電話をした。NYにいる夫は無事だった。

その後はテレビの前で、観光名所でもあるあのビルが崩れてゆくのを茫然として見ていたのを覚えている。

飛行機が建物につっこむ様子が何回も流れる。何度見ても、私には信じられなかった。

二週間後に暮らすことになる街が画面の向こうで大変なことになっている。

けれどテレビに映る悲惨な事件は、

あまりにも遠く

あまりにもとっぴょうしもなく

あまりにも絶望的で

あまりにも、あまりにもまるで映画なのだ。

お茶をすすりながら見ていたテレビの中の街へ、私は二週間後に降り立つことになる。

NYは予想以上に普通だった。人々はおおぜい出歩き、グランド・セントラルから列車に乗り、ロックフェラー近くのレストランで話し込み、夜のブロードウェイで騒いでいた。

晴れた昼下がり、私はアパート近くのスーパーに買い物に出かける。通り道の消防署にたくさんの花が供えられている。ここの消防士たちの多くが、救助のために建物のなかに入り、亡くなった。笑顔の写真の横にメッセージのボードが置かれている。恋人から、妻から、子供から。私は信号を待つ間、それらを一つ一つゆっくり読んでいく。彼らの写真を、順に眺めながら。信号が変わると、私は少し顔を上げて、早足でスーパーへ向かう。

私が「9.11」を実感できたのは、少なくとも実感できたと思えたのは、たぶんこの消防署だったように思う。あの年、あの時期にNYで暮らしたことは、偶然にすぎないのだけれど、確かに忘れられない何かを私のなかに残していった。

「あの日」は9/11であっても、なくてもいい。

ビルに閉じ込められた人たちを救うために亡くなった消防士はあなたの父親かもしれない。

つっこんだ飛行機に乗って命をおとしたのは、あなたの母親かもしれない。

同時に、

地下鉄にばらまかれた毒の液体のせいで、死んでいったのはあなたのお兄さんかもしれないし、

仲間はずれにされて逃げる場所もなくて、飛び降りたのはあなたの妹かもしれないし、

軍隊の攻撃に巻き込まれて、殺されたのはあなたの子供かもしれない。

そして、その銃の引き金をひくことになるのは、あなた自身かもしれないのだ。

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と、書いてから気がつきましたが、日本はもう9/12なんですよねー。なんだか、間抜けなタイミングになっちゃいましたがヾ(´▽`*;)ゝ" 、目を通していただいてありがとうございました!

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神さまのいるところ

この夏はたくさんの教会を訪れました。ヨーロッパの国々には、どこにでもたいてい観光スポットの一つとして教会、寺院、大聖堂、と呼ばれる建物があります。

それほど人々と教会の結びつきが強かったということなのでしょうか。最初に訪れたということもあるのだと思いますが、特にイギリス、カンタベリー大聖堂にはとても感動したのを覚えています。

観光客があまりたくさんいなかったので、少し薄暗い教会のなかは静かで、ひんやりしていて、細かいデザインのほどこされたステンドグラスを光がやんわりと照らし出していました。アーチをつくる柱がどこまでも続く身廊を歩きながら、ここに神さまが降りてきてもおかしくはない、と思いました。

いったいこの建物をつくりあげた人たちはどんな心で、柱をたて、ステンドグラスをはめこんだのでしょうか。どんな政治的な理由がからんでいたとしても、どれだけ血が流されたとしても、こういう美しいものを実際につくっていた人たちは、ただひとすじに神さまを思いながら築き上げていったのだと信じたいと思いました。

そしてここに祈りに来た人々のなかにも、きっと真に建物の美しさに震えて、神さまを感じとった人たちがいたと信じたいとも思いました。

神さまは太陽や月や川や森にいると思っていたけれど、本当は神さまがいるところは人の心の中なのかもしれません。

神さまを思って教会をつくりあげた人たちと、そこを訪れて感動した人たち、その心にこそ神さまはいるのだと思いました。

カンタベリー大聖堂に感動した私、けれど「ロンドン・アイ」のほうがよっぽど良いと思う人だっているでしょう。

感動しないことがあってはじめて、何かに感動するということがうまれるんですよね。

そうやって私たちは一つ一つ選び取りながら、自分という人間をよりはっきりとかたちづくっていくのだなあと思いました。

悲しいことがないと、喜びが分からないし

つらいことがないと、幸福が分からないし

闇がなければ、 光は輝くことができないわけです。

そういう意味では世界中の人たちがみな教えあい、助け合っていて、全ての人の心に神さまっているかもしれませんね。

私たちがイギリスに訪れたころは、ちょうどテロ未遂事件に揺れている最中でした。

―― もし、目の前に車がつっこんできたら…? 自分の大事な人たちが命を奪われたら…? 自分や家族を傷つける人たちの心の一部にも、神さまがいるのだとはっきり言えるでしょうか。だいたい自分はどうなのでしょう。その人たちに仕返しして、痛めつけてやりたいと考えるのではないでしょうか。そんな自分の心の一部にも神さまがいるのだとそれでも言えるのでしょうか。きれいごとを並べても何も変わらない。

そんな声が聞こえてきました。

どちらが本当なのかも分からないし、そもそもはっきりした答えがあるのかも私には分かりません。

今の私がなんとか分かること。

それは、どんな心もちで生きるのかは自分が選ぶということです。

そして何度でも選びなおせるということです。

そこには遅すぎることもなければ、早すぎることもないということです。

Cimg2888  カンタベリー大聖堂内1

Cimg2890 ステンドグラス1

Cimg2894 ステンドグラス2

Cimg2893_2 カンタベリー大聖堂内2

―― さて。

これでこの夏のことを書くのはひとまず終わりにしたいと思います。実際はまったく旅行記とはほど遠い内容が続いてしまいましたが、私らしいということでどうかおゆるしを。

写真入りでこと細かく旅で体験したこと、感じたことを書けたらどんなに良いでしょう! もし、この夏のことを咀嚼できて実になって自分の言葉で表せるようになったら(そんな日がいつか来ると願って)、そのときは「遅れた旅行記」をみなさんにお届けしたいと思っております。

そろそろ本のページをめくる心の準備ができてまいりました!ヽ(^◇^*)/

またこのブログで皆さんと色々本のお話ができたらいいなあと思っています。

今後ともよろしくお願いいたしますヾ(´▽`*;)ゝ"

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その先のまた向う

どうしても気になって仕方がない。

目をそらしたいのに、すいよせられる。

目の前を通ると、わたし全部がそちらに向いてしまう。

だけど毎日会いたくはない。

自分の良い感情も悪い感情も一気にひきだされるようで

落ち着かないからだ。

見つづけたら、自分がもたない。

―― 何だか、やばい恋愛にはまっちゃった人のポエムみたいですが、そうではありません。

「絵画」のこと。私にとって、こういう表現がぴったりなのは、ゴッホの絵です。ゴッホ、家に飾ろうとは思わないんですが、訪れる美術館にゴッホの絵があると聞くと、絶対、必ず、会いにいきます。特に後期の作品を見ると、心がさわさわと波立って、自分が一回ひっくり返されたような、どろりとした黒い何かを表に引っ張りだされるような、そんな感じがします。

オーディオガイドによると、ゴッホは「写真より絵画のほうが、より真実をうつしだすことができる」というような言葉を残しているそうです。

これがどういう意味なのか、ゴッホの絵を見ていると分かるような気になってきます。(あくまでも私なりにですが)

「真実」はただ目にするものとは違っているのかもしれず、みなが同じ「真実」を抱えているわけはあるはずもなく、人間は結局一人なのだと思う反面、

何が「真実」なのかは、わたしたち一人一人の手にゆだねられているのだと、悲しいような妙にすっきりした気持ちになりました。

ウィーンでは「エゴン・シーレ」に出会いました。すばらしい感性の持ち主である友人が好きだと知って、わくわくしながら美術館に向かいました。

”時代にはその時代の芸術を、 芸術には芸術の自由を”

1897年、ウィーンに保守的な芸術から分離しようとする「分離派」と呼ばれる一つの芸術運動の流れが誕生しました。エゴン・シーレは、その流れの中心的役割を果たした「クリムト」に才能を見出されたといわれています。既存の芸術にとらわれず、自由で新しい表現を追い求めていったエゴン・シーレ。しかしその新しさの先のまた向こうには、いたってシンプルで当たり前なテーマが横たわっているのを感じます。

私がエゴン・シーレにひきつけられるのは、その斬新な表現方法というよりは、大昔から繰り返し繰り返し芸術と名のつくもののなかで訴えられてきた「愛」だとか「死」だとかいうテーマが、きちんと絵にえがかれているように思えるからかもしれません。「新しさ」というものは、人の気をひいたり、びっくりさせたりするためだけにあるのではなくて、逃れようのない、何度も何度も挑戦するしかない、古来から相変わらずそこに在るシンプルなテーマたちにより近づくための方法であり、そして「方法」の一つにすぎないことを、エゴン・シーレは分かっていたように私には思われました。

澄んだ奇妙な幸福と 得体の知れない不安

人間は孤独であるということと 私たちはつながっているということ

生きていることと 死んでいくこと

こちら側と 向う岸

絵の前でぐらぐらとゆれている自分

つい最近まで絵画のアンテナは私にはないと思っていました。

一生使うことはないと思っていたアンテナが何かを感じ始める瞬間。

年を重ねてゆくことは面白いですね。

生きていくのが楽しみになります!

(詳しくは(。・o・。)ノこちらを参照ください)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホについては こちら

エゴン・シーレについては こちら

グスタフ・クリムトについては こちら

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ブログを再開します

久しぶりにブログの記事を書いています。何だか文章をつむごうとしても、言葉が全然出てこない…。やっぱり、書き続けていないと日本語だって下手になるのかも。

さて、この夏はたくさんの美しいものを見てきました。普段は「本の世界」に埋没している私ですが、目で耳で鼻で舌で肌で、持っているもの全てで、たくさんの国の美しいものと触れ合ってきました。

自分を広げたい、とえらそうなことを言っていた記憶がありますが、とんでもない!!いかに自分の勝手な思いこみで、自分の世界を小さくしていたか、思いしりました。

本の世界に浸るのも幸せですが

行ってみなくちゃ分からないこと

やってみなくちゃ分からないこと

ってやっぱりあるものですね!

どんな美しいものとやらに出会ったのか、あれこれ試しに書いてみたのですが、これが難しいのです。何だか書けば書くほど、ガイドブックの説明になっちゃう気がします。書けば書くほど、美しさから遠ざかっていって俗っぽいものになっていく気がします。書けば書くほど、嘘ばかり並べているような気がします。

というわけで、写真でも貼り付けようかなー(思いっきり逃げてます)と思いついてはみたものの、いつものように私が撮った写真はほとんどなく、夫の撮った写真はあまりにも膨大で選ぶのが大変…。

仕方ない、何とか言葉にしてあらわしてみたいと思います。

私が出会った美しいものたち

ヨセミテ公園の太陽みたいに暖かい巨大な岩。

イギリスのカンタベリー大聖堂。  

湖水地方のフットパスで見た小雨にぬれるシダの群れ。

ビアトリクス・ポター(ピーターラビットの作者です)の家にある、彼女が本当に好きなものだけで飾られた食器棚。

エジンバラのチョコレート色の街並み。

ウィーンで見たエゴン・シーレの絵。

スイスの天へつき出るマッターホルンと

ホテルのベランダから見た花火。

夕暮れのプラハ、カレル橋。

ミュンヘンの路上で聞いた男の子のバイオリン。

オランダで聴いたペペ・ロメロのギター。

ゴッホの絵。

オランダの友達が住んでいる運河に面した家。

うーーーん、今読み返してみましたが、何が美しいだかさっぱり分からない方がほとんどかもしれませんね…。すみません。私の表現力が至らないからだとは思いますが、美しさを感じるポイントが少しずれているからかも…(と言い訳してみます)

面白いことに、私が体験したことが、いつか読んだ本にが出てきたら、もっともっとたくさん感じとれるかもしれないなあ、などと最後にはやっぱり本のことを考えている自分がいたりしています。

参考までに、私が美しいなあ、と感じたものに近い写真を貼り付けておきたいと思います。

Cimg2610_4 ヨセミテ公園

Cimg2897_4 カンタベリー大聖堂

Cimg3031 湖水地方フットパスで見た小川

Cimg3903  カレル橋からみた夕暮れのプラハ

Cimg4536 スイス、マッターホルン

このブログに訪れてくださった方、どうもありがとうございます(*゚▽゚*)。これからまたマイペースにブログを更新していこうと思っていますので、気が向いたらぜひ遊びにきてくださいね。

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しばらくお休みします

普段からゆっくりペースのブログですので、心配される方もそう多くはいらっしゃらないかとは思いますが、しばらくの間ブログをお休みします(*^^*)。

本を手にする時間がいつもより少なくなりそうですが

皆さまとまたお会いするその日まで

楽しいことも、そうでないことも、心から味わい

けれどもそれに振り回されることなく

自分がどんな人間になりたいか、問いかけながら

自分のおもう「幸せ」に一センチでも近づけるよう

心を磨いてまいりたいと思います!ヽ(*゜∀゜*)ノ

このブログに訪れてくださった皆さまに

どしどし、じゃんじゃか、幸せが訪れますように。

またお会いできるのを楽しみにしております!ヽ(^◇^*)/ 

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偉大なる教え

最近、母の教えの偉大さに気がつくことが多いので、母の日も近いことだし、その教え!を皆さんにもお伝えしたいなあと勝手に思って記事を書いております。

先日こんなことがありました。夫が南米出身の友達に、一緒にサッカーやらないか、と声をかけられました。夫は昔ちょっとだけサッカーをやっていたので、喜んで即参加。しかし、試合開始後10分で、方向を変えようと思ったら右足にばちっという音がはしったそうです。Σ( ̄ロ ̄lll)

話はちょいとそれますが、南米のお友達には「サッカーは子供のころ遊びでやってただけ」という方も多いみたいですが、皆さん体は強いし、プレーは激しいし、ボール使いもうまいそうです。ブラジルもアルゼンチンもサッカー強いはずですね…。選手層の厚さを実感いたしました、はい。

とにかく運動不足なうえに、そんな上手な人たちとプレーしたので、足のきんにくんもついていけなかったんでしょう。お医者さんの診断は「肉離れ」。しかも重度だったので、全治六週間。

松葉杖の力を借りて、びっこをひきながら、しょぼんとしている夫。予定していたことを、キャンセルしたり延期したりしなくてはいけなくなりました。

ここで、母の教えを娘が生かすときがやってまいりました。

夫よ、

「これも人生、 それも運命、 命がなくなるわーけーじゃーなーしー!!」

と歌舞伎調で、母の言葉に私のアレンジを加えて言ってみたところ、

夫は!

「……なに時代の人?」

(´-ω-`)ものすごくひいていました。

でも、少し顔が笑っていた(ように思える)ので、呪文が効いたものと判断しています。

この言葉を三回続けて唱えると、たいていのことは乗り越えられます。(ほんとです)

これでちょっと無理なときは、

これも人生、それも運命、どうせ命は尽きるもの

という私の勝手に創作した別のフレーズを使っています。時と場合によってこの二つを使い分けております。わっはっは(‐^▽^‐)(こらこら)

心配したり不安になったりする自分を止めることはできないけれど、そんな気持ちになっても事実は変わらないんだよ、心配したって仕方がないんだよ、と自分に言い聞かせるのに、ひじょーに効果的な魔法の言葉だと思っております。

それからもう一つ。

「馬鹿、馬鹿言うのが、一の馬鹿!」

という母の名言がございます。子供のころは「ば~か!」とからかってきた相手に言い返すときに使ってました。でも言い方が古くさいので、さらにばかにされちゃってたかも。ヾ(´▽`*;)ゝ"

最近は自分に対して言っています。

自分は何でも知っていると勘違いして(他人を馬鹿にして)

気がついたら世界一の馬鹿になっていないように。

自分のことを自分で卑下して(自分を馬鹿にして)

自分の力を信じることのできない馬鹿にならないように。

若いころは忘れていたけれど、やっぱり親の言葉は心にちゃんと残っているものですね。そしてピンチのときに私を助けてくれます。

「そんなことよりもっと大事なこと、たくさん教えたと思うけどねぇ」という母の苦笑が目に浮かびますが。わっはっは(‐^▽^‐)

さて、前回に続いて今回も私の好きな「茨木 のり子さん」の「自分の感受性くらい」という素晴らしい詩を一部引用させていただいて、きれいに幕を閉じたいと思います。

この詩を読んでいると「茨木 のり子さん」が私たち人類みんなの母親で、そのもう一人の母からメッセージを送られている気持ちになります。

”――

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ”

(この詩が掲載されている本はこちら→自分の感受性くらい

にほんブログ村 本ブログ 洋書へにほんブログ村 本ブログへ (ブログランキングに参加しています。良かったらクリックしてくださいね(*^^*))そして、またまた記事の内容が関係ないですね…すみません。

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僕らは朝をリレーしている

いつもまじめでないわけではありませんが、今回は私、おおまじめな話をしたいと思っています(´-ω-`)。

考えてみれば、アメリカの片隅で生きる私のような一介の主婦が、おおまじめーな話をしたいと思って、おおまじめーな話をこうして発信できるなんて、ほんと時代は変わりましたねぇ。

知り合いの人にメールを送ることはできても「ホームページ」をつくるのは何となく専門的で難しそうなイメージがあったので、私にとってこれまでインターネットって、一方的に見るもの、調べるものでしかなかったように思います。「ブログ」というツールができて、私のような(といったら失礼かもしれませんが)専門的な知識がない人でも簡単に自分の考えを発信できるようになりました。いい時代になりましたね(*^-^*)。

一介の主婦でも簡単に始められる「ブログ」。自分の考えを表現することができる「ブログ」。心の通った暖かい交流ができる「ブログ」。この時代に生きていて幸せだなあと思います(*^^*)。

ブログは、インターネットは、世界を変えました。もっと変えてゆくだろうと思います。今なにが起きているのか、どんなことが面白いのか、この事柄の意味は何だろう、知りたいときにネットを使う人はどれくらいいるでしょうか? 世界をうつす窓は今までテレビや新聞だったのに、私たちはインターネットという大きな出入り自由のドアを手に入れました。

世界へ通じるそのドアを開けて、私たちは何を受け取るのでしょうか?

いくつか「ブログ」を紹介したいと思います。

 「Sleepless in Sudan

北アフリカのスーダンで国際援助の仕事をされていた女性のブログ。(スーダンを去った2006年の2月までで終わっています)

スーダンの西部「ダルフール」では現在もなお民族紛争が続いており、2006年の2月の時点で18万人が殺害されたと考えられています。この「民族浄化」とみなされるほどの大量の人民の殺害のほかに、住むところを追い出された大勢の難民もうまれています。食べ物や水も満足にない難民キャンプ、そこで働いていたのが、このブログを運営していた彼女です。(スーダンについては、Wikipediaを参照しました)

  2005/7/11の記事から(一部抜粋して、私が意訳しました)

”紛争によって家を奪われ、難民キャンプに住んでいる男性が言う。

「前からマンゴーは育てていたよ。今年も、俺はマンゴーを植えるってためだけに、身の危険を冒して自分の畑に出かけてた。だけど数週間前、俺らみたいな人間を銃で撃ったり攻撃したり、キャンプの外で始まったもんだから、あんまり危ないんで外出できなくなっちまった。そしたら俺の村に別のやつらが移ってきていて、俺の畑をとっちゃって、俺のマンゴーを市場で俺に売りつけるんだぜ」

私たちは笑うよりほかになかった。男性は首をふり、笑って更に言う。

「俺のいとこなんかもっとひどいんだ。あいつ、自分の畑をとっちゃった奴らからマンゴー買ってさ、キャンプのはずれを歩いてたら、強盗のグループに襲われてさ、金とマンゴー盗られちゃったんだ。あいつ、自分でマンゴー育てて、そのマンゴーを金払って買って、結局手元に何にも残らなかったんだ」

悲しいことだけれど、でも、私たちはこれにも笑わずにはいられなかった。”

スーダンの人々への敬意を忘れずに働く暖かいハートを持った彼女と、どんな悲惨な状況でも明るさを失わない現地の人々とのやりとりに思わず画面の前で微笑んでしまいます。

 「Baghdad Burning

イラクに住む女の子のブログ。ご存知の通り、2003年、アメリカを中心にイギリス、オーストラリアなどが加わり、イラクに侵攻をはじめました。「テロ国家からイラクを解放する」はずが占領政策はつまずき、バグダッドを中心に都市は一時「無政府状態」となり、イラク国民の生活はかえって危険に冒されるという悪循環をまねいています。(情報はWikipediaを参照しました)

 2003/8/19の記事から(一部抜粋し、私が意訳したものです)

 今日バグダッドの北西部「Anbar」で一人の子供が殺されました。彼の名前は「Omar Jassim」。10歳か11歳の男の子です。誰かこのニュース聞いた人いますか? 「Fox News」や「CNN」でこのニュース流していますか? 男の子はアメリカ軍による「手入れ」(住民の家などに予告なしにいきなり踏み込み、武器や抵抗勢力の人々を隠していないか調べること)の捜査ちゅうに殺され、誰もその理由は分かりません。家族はうちひしがれています。その家では結局何も見つからなかったので、アメリカ軍は何もとってはいきませんでした。みんな「手入れ」を恐れています。何が起こるのか、誰が撃たれるのか、間違った反応をしてしまったら…、どういう反応をしたらいけないのか…。

こんな風に言う人がいるでしょう。「アメリカ軍はあなたのためにこういうことをしてるんですよ! あなたのために『手入れ』をしてまわっているんです!」でも本当のことをいうと「手入れ」はあることだけのために行われています。彼らは繰り返し私たちにこう念を押してるんです。私たちは占領下におかれている、私たちは独立できていない、私たちに自由はない、私たちは解放されていない…。

―― 最後に彼女はこう結んでいます。

"I just wish they would take the oil and go..."

 

地球のどこかで普通の人たちが思ったことを、たくさんの人が知ることができる。インターネットでやっぱりすごいと思います。

「でも、待って! これって個人のブログでしょ。信憑性はどうなんだろう。こういうの信じちゃうと、今に噂が本当のことみたいに語られちゃってふくれあがって、すっごく怖いと思うなあ」

「それに、主婦とか学生とかその辺に住んでる普通の人たちの見方って偏ってるんじゃない? 新聞や雑誌みたいに、きちんとした人が書いて、きちんとした人たちがチェックしているわけじゃないし」

そうかもしれませんね(*^^*)。上に紹介したブログの記事も、意訳をした私のフィルターもかかっていますし、信憑性が欠けているかもしれないし、偏った見方で書かれているかもしれません。

そういうことをきちんと頭に入れて、インターネットをつかうことは大切なことだと思います。

みなさん、ここはひとつ、「でも」も「それに」もひとまず置いときませんか?(って強引だけど)

男性も女性も、88歳も12歳も、日本人もアフリカ人も、主婦もOLも、パイロットも大工さんも、みんな同じ「人間」です!(すごい大ざっぱですが)その同じ「人間」が発した声を、ちょっとだけ聴いてみたいと思いませんかヽ(^◇^*)/ 

世界はこんなに広いのに、

私たちはこんなに近づくことができます。

私たちはこうしてつながることができます。

怖がらずに、恥ずかしがらずに、「幸せ」の方にきちんと顔を向けて、自分の頭で考えて、真剣に良いものを選択し、正直に、かっこつけないで、どんなことでもいいから自分の気持ちをたくさんの人に伝えると、もしかしたら私たちの人生やこの世界が、すこーしずつ変わっていくんじゃないかなー。

インターネットというドアを開けて、何を受け取り、何を伝えるのか、私たちは選ぶことができます!ヽ(*゜∀゜*)ノ

ここまで一介の主婦のおおまじめーな話を読んでくださった方、ありがとうございました。

最後は、私の好きな「谷川俊太郎さん」の「朝のリレー」という素晴らしい詩を一部引用させていただいて、さわやかにしめたいと思います♪

――

ニューヨークの少女が

ほほえみながら寝がえりをうつとき

ローマの少年は

柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では

いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ

経度から経度へと

そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと

どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている

それはあなたの送った朝を

誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

(この詩が掲載されている本はこちら→あさ/朝

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あなたは本気ですか?

先日、いつもその文章の魅力にすいよせられるように、まめに訪れさせていただいている<michiさんのブログ>で、素晴らしい記事を読みました!ヽ(*゜∀゜*)ノ

こちら→  <まずはお詫びから> <Bursting at the Seams 1

       <Bursting at the Seams 2> <Bursting at the Seams 3

インターネットの良いところって、遠い場所に住んでいる色々な人とこういう自分が感動したことを、シェアできることですよね。

ということで、michiさんが書かれたこの記事を私なりに紹介させていただいて、訪れた皆々様と、どんどこシェアしていきたいと思います。(michiさんのブログを見ている人のほうが間違いなく多いと思いますが(^∀^)ゞ )

michiさんが紹介されていたのは「BBC Radio4」で放送された「Reith Lectures 2007」という番組です。これは年に一回、世界一流の学者さんが講義をしたものを放送する番組だそうです。

私も早速「BBC」のサイトをチェック。音声も原稿も手に入るのですが、第一印象は「うーーん、難しいかも」。でも何でも最初から無理だと思えば無理だけど、できると思えばできる!!(すごい強引)と思い直して、michiさんの記事を片手に講義の原稿を読んでみました。(でも正直むずかしかったです…o(TヘTo) )

以下、この番組を要約されましたmichiさんの記事をさらに私なりに要約したものとお考えください…。(自分の英語力のなさを痛感いたしました)

今回、講義をしたのは「Jeffery Sachs」。アメリカの経済学者で、「世界で最も影響力のある人物」の一人に選ばれたとか。(詳しくはこちら

原稿を読んだ感想としては、細部にわたる知識、その知識に振り回されない大きな流れを読む広い視野、それを支える暖かい心がバランスよく備わっている素晴らしい学者さんだなあ、と思いました。

彼、Jeffery Sachsは言います。(わたしの意訳です)

「たった一つの鍵だけで、平和のドアは開きません。限られた大国がよしとするようなご大層な魔法がかった公式なんて存在しません。真の平和はたくさんの国々のたくさんの行動が集まってつくられるのです」

今、この時代を生きている私たち。私たちが住む今の地球を彼はこう称しています。「Bursting at the Seams」 michiさんによると「袋にぎゅうぎゅうに詰められて、今にも縫い目が裂けそうになっている状態」のこと。

―― なるほど確かにそうですね(*^-^*)。地球は人があふれてパンパン。物があふれてパンパン。道路は車で、電車は通勤、通学する人でパンパン。情報があふれてパンパン。ストレスでみなさんの心はパンパン。うさを晴らすためにビール飲んで、おじさまたちのお腹はパンパン…。

混み混みの地球を生きる私たちですが、今を担う私たちに与えられた大きな課題があることを彼は示しています。

一つは「Anthropocene」。「地球の歴史上、かつてないほど地球に人の手が入っている」ということだとmichiさんはおしゃっています。人間が都合の良いように、欲望のままに、地球をつくりかえてきたということだと思います。例として中国が挙がっていました。近いうちに二酸化炭素の排出量が最も多い国になるだろうとのこと、そうなればヒマラヤの雪は溶け、それは黄河や揚子江の流れを変え、アジア全域の川へと影響は広がっていくというのです。そして一つの行為が、一つの影響を生むだけでなく、たくさんの影響を地球に与えていくことを付け加えています。

二つ目は「geo-politics」。「地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問」のことだそうです。確かに自分の住む国が地理的にどの場所にあるか、ということはその国の政治がどうなるのか、他国とどうつながっていくのか、を決める大きな要因になりそうです。例として挙がっていたのがアメリカ合衆国。アメリカが世界の中心、リーダーであることを疑っていない人は日本にもいることと思いますが、彼はそれを「fantasy」だと言っています。経済力をつけたインドや中国の世界における発言力が強まることを示唆しています。幻想を捨てて、新しい視点で地球を捉えていく必要があるのだと思います。

三つ目は「the weakest links」。michiさんはJeffery Sachsの言葉をこう伝えています。

「互いに結び合っているこの世界に生きる私たちは最も弱い立場にいる人たち ――貧しくて生きることができない人たちに―― 手を差し伸べる必要と責任があり、ひいてはそれが私たち自身の生存にも繋がるのです」

彼はさらにこう言っています。(わたしの意訳です)

「私達が安全だとどうやって思えるというのでしょう。その日を生きぬこうともがいている一億人の人たちを放っておいているのに。最も貧しい一億人の人たちが毎日、口にするものを得るために戦い、飲み水に含まれた死にに至る病原菌と戦い、マラリアをもたらす蚊と戦い、命を蝕む病気と闘っているというのに」

そして、彼はこれらの問題をひとりひとりが自分の問題として捉えようと呼びかけています。

―― 自分のちょっとした一つの行為が世界を、地球をつくっていく。だから個人個人がつながり合えるこの時代に、私達が本気で解決しようと思い、本気で行動すれば、地球は変えられる。私にはそういうメッセージが聞こえてきました。

彼、JeffreySachsは、本気です。私が一番心を打たれたのは、本気で地球を幸せなところにしようと考えている、彼の情熱だったように思います。(それだけ?って言わないでね)

自分はどうだか考えてみました。

私のアパートではゴミの分別がありません。「一緒くたに何でも捨てて! アメリカは何でこんなに無関心なんだろう!」と怒っていたけれど、そういう自分もみんなと同じようにゴミを一緒に捨てています。

「アメリカは冷房か暖房かどっちかいつもかかってるよね」とぼやいていたけれど、そういう自分もちょっと熱いと冷房を入れています。

友人が肌に優しいし、環境に良いと教えてくれた無添加石鹸を使っているくせに、食器洗剤や洗濯用洗剤は市販のものをそのまま使っています。

意識せずに、車に乗り、水を使い、電気を使い、ものを買います。

あなたは本気ですか?

本気でこの地球を変えたいと思っていますか?

Jeffrey Sachsさんの声が聞こえてきそうです。

彼は次回からの講義で、新しい政治、新しい課題の解決法、新しい個々のつながりをきっともっと深く掘り下げて話してくれるだろうと思います。

素晴らしい記事を書いてくださり、この講義内容を紹介してくださったmichiさんに感謝したいと思います。ありがとうございました。

最後に私の好きなマザー・テレサの言葉を紹介したいと思います。

「わたしたちのすることは大海のたった一滴の水かもしれません。

でもその一滴の水があつまって大海となるのです」

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ご冥福をお祈りいたします

日本でもすでに報道されていることと思いますが、アメリカ、バージニア州のバージニア工科大学で32人が亡くなるという銃の乱射事件が起きました。

亡くなった方々のご冥福を心より祈るとともに、助かった学生さんのこれからの人生が、どうか幸せに包まれるものとなりますように心から祈っております。

世界では、国を越えて、たくさんの人が、一生懸命に毎日暮らしています。胸の痛む悲惨な事件が起こりましたが、他国の地で、前を向いて必死で歩き続けているたくさんの人を思いながら、私も笑顔を忘れずに日々を生きていこうと思います。

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待ちに待った…

最近、どうも読書に集中できません。読みかけの洋書を閉じたり、開いたり。ふだんからボーっとしている私ですが、このところ更に輪をかけてボーーーーっとしています。

そうです、待ちに待った「夏休みヾ(@^▽^@)ノ」が始まりま~す!

実は私の夫は学生なのです。こちらは9月から新学期がスタートしますので、夏休みは宿題ゼロ!!よっしゃ、あーそーぶーぞー☆(私のほうが気合入りまくり)

そういうわけで、宿題ゼロ(夫が)の夏休みに何して遊ぼうか、想像するのに忙しく(?)気がつくと、別の世界に行ってしまってるわけです。

それにしてもこの一年の夫を見ていると、脱帽の一言。大きくて、分厚い(そしてなぜあんなに重たい?)テキストに書かれている内容も難しすぎて私には理解不能ですが、山積みのそれらを英語で読み、英語の講義を受け、英語でディスカッションし、英語でレポートをまとめる。そしてそのペースについていくために充血した目で毎日机にかじりついています。同い年の私たち夫婦、夫の睡眠時間は私の昼寝の時間と同じですが、脳のしわの数はかなり違いそうです。

前にもちょっと書いたんですが、彼はわりと外交的な性格で、学校が催すスポーツ大会や講演会などにも、労を惜しまず顔を出します。(私なら英語だし、疲れるし、家でゆっくりしているでしょう)授業でも前のほうの席に座って分からないところは質問したり、教授に個人的にコンタクトをとったり。(私ならさっさと家に帰って日本人の友達に訊いちゃうだろうし、教室では指されるのがこわくて、後ろのほうに座っちゃうかも(´-ω-`))

夫の様子から、楽しいだけの毎日でないのはよく分かります。英語がそれほどできるわけではないので、きっと恥ずかしい思いをしたり、傷ついた日もあったとは思いますが、それでもどんどん経験値をあげて向上したいという姿勢には、ほんとう脱帽!の一言です。

まあ、夫に言わせると「もっと勉強をがんばっている人やもっと色々なところに飛びこんでいく人は他にいっぱいいる」とのこと。アメリカの、いや世界中の学生さん、みなさん素晴らしいです!ヽ(^◇^*)/ 

あれれ? 話がずいぶんそれてしまいました。そうそう「夏休み♪」の話でした。せっかくの長期の休みですから、やっぱりどこか違う国へ行きたいなー(と独り言)

ただ今<michiさんのブログ>や<Dillさんのブログ>で憧れつのる、イギリス&アイルランドへの旅行を計画中!(独りで計画中!)改めてお二人のブログをバックナンバーまでさかのぼり、色々拝見しようと思っています!(*^-^*)(ちょっとこわいか)

ここで久しぶりに夫を誉めているのを察知したのか、だんな登場。

夫よ、本当におつかれさまでございました。夏休みにはパーっと、どこか旅行にいきませう!!

「あのさ、Final Examまだ終わってないんだけど……。」

……。 

あははは、ちょーっと気が早すぎたみたいです。まだ四月だもんねー。

贅沢な悩みと言われるかもしれませんが、のほほんと暮らしている私でも、泣きたい日もあるし、何にもする気が起きない日もあります。けれど、日本にいたら素通りするようなたくさんのことに気づけただけでも、アメリカで暮らせて幸せだなあと思います!

夏休みまで少し気を落ち着けて、また本の世界に浸りたいと思います。ヾ(´▽`*;)ゝ"

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ワシントンD.C.

ワシントンD.C.へ行ってまいりましたヽ(*゜∀゜*)ノ

もうちょっと詳しく書きます。アメリカ合衆国の首都、どこの州にも属さない連邦政府直属の特別区、その名もワシントン・コロンビア特別区へ行ってまいりました!

そして、夫は別の用事で昼間いなかったので単独で観光しました。

ということで、今回も「天才的な下手さ」と呼び声高い(?)私の写真をご覧ください。

大統領官邸「ホワイトハウス」!

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ワシントン・モニュメント!(初代大統領ジョージ・ワシントンの偉業をたたえて造られたそうです。)

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ワシントンD.C.には「スミソニアン協会」(くわしくはこちら)が運営している、素晴らしい博物館&美術館郡があります。しかも、全て無料!

「国立航空宇宙博物館」では、巨大なロケットに開いた口がふさがらず…

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「国立自然史博物館」では、動物や恐竜の生態に、ほかの子供たちと一緒に見入り…

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「ナショナル・ギャラリー」(国立絵画館)では、ルノワール、モネ、ロートレック、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、そしてカサット(くわしくはこちら)の絵を前に心の洗濯…。

正直言って絵はよく分からないのですが、自分の気に入った絵をじっと見ていると、歩き回って疲れた体に何となく力をもらえるような感覚になりました。気がついたらほとんど毎日寄っていました。

(でも、この辺からは夢中になってカメラはバッグに入れたまま…。(´_`。))

そして何といっても一番心に残ったのは、「ホロコースト記念博物館」です。ここには、ナチによるユダヤ人への迫害、虐殺の実態が映像、写真、資料、遺留品をまじえて展示されています。「the book thief」という本を読んだこともあり、展示のひとつひとつに心を揺さぶられました。

本に出てくる「焚書」や「パレード」についてのコーナーもありました。ユダヤ人が多くの命を奪われただけでなく、心をつぶされていった過程に涙が出ました。

「私はけがれた血の人間です」(私の意訳です)と書かれたプラカードを首から吊り下げて、通りを歩かされている男性。

ひと目でユダヤ人だと分かるように黒と白の縦じまの服を着せられ街角にたたずむ少年。

収容所行きのトラックに詰め込まれた人々の凍った目。

管理するために番号の刺青が彫られた、たくさんの腕。

明らかにリンチによって殺されたであろう若者。

見世物として街中で首をつられている女性。

まるで「物」のように積み上げられた死体の山。

収容所で生き延びた人たちの証言を集めた映像を見ました。一人の白髪の男性が言います。(私の意訳です)

  家に戻れてからも、本当にあの日々が終わったのか実感が持てませんでした。

  一日中働いて家に帰って、ひとくち、ふたくち、お酒を飲みます。

  それから声をあげて泣きます。

  毎晩、毎晩、泣きました。

  自殺してしまいたかった。

最後に彼は涙を浮かべて、かすれた声で言います。  

  but, I can't.

人間が人間であることを踏みにじられた人々の悲鳴が聞こえてくる展示でした。

なかに、ナチス率いるヒトラーを人々が熱狂的に支持している映像もありました。笑顔で旗を振っている人たちを見ているうちに「こんな時代もあったんだ」では済まされない何かがあるように思いました。

私たちは、どうも大きな物事ほど、重要な物事ほど、判断を誰かにゆだねたくなる傾向にあるようです。テレビで見聞きしたことやえらい人が言っていることを、問題が重たければ重たいほど、うのみにしてしまうことが多い気がします。

自分の周りにいる人にいじわるをしてはいけないことは判断できるのに、

国を守るために戦争はやむを得ない、などと言われると、とたんに周囲を見回して何が正しかったんだっけ? と心もとなくなったりします。

どんなにたくさんの理屈を並べられても、最後には自分の「心の声」がきちんと聞こえる人間でありたいと思いました。

さて、ワシントンD.C.は桜の名所。ちょっと期待していたのですが、残念ながら少し早すぎたようです…。けれど、来た日からポカポカ陽気、一人ですから、疲れたらのんびり博物館郡の間に広がる芝生を見渡せるベンチに腰をおろし、道行く人を眺めたり、本を読んだり、コーヒーを飲んだり、ホットドッグをほおばったり。

たくさん感じて、たくさん考えた、しみじみ一人観光。たまには、こういうのもいいですね!ヽ(^◇^*)/ 

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人にあたる?人に酔う?

週に一度、英語を学んでいる人たちが集まる「英会話の集い(?)」のようなものに顔を出しています。今回はその仲間たちと、ジョージア州はアトランタ、ダウンタウンへ出かけました。

いつもこのブログでジョージアでの生活を紹介したいなあ、と思いつつ、出来ずにいた私。実は写真を撮るのが下手だし、あまり思い入れがなく、ほとんど見返したり整理したりしないタイプなのです…。うちの写真係はもっぱら夫が担当。

しかし今回は単独で出かけましたので

「このわたくしが写真をとってまいりました!!」

アトランタといえば、「CNN」と「コカ・コーラ」の本社がありまして、観光客(といっても少ないですが)のみなさまが大喜びの写真スポットとなっております。私も撮ってきましたよー!

「CNN」では、ヴェトナム出身の男の子が命知らずにも私に写真を撮ってくれ、と頼んできました。ふふふふ(* ̄ー ̄*) もちろん快くシャッターを押した私。彼は「サンキュー、サンキュー」と写真のできばえを確認。

技術が進歩しちゃって、最近のデジカメは撮ったそばから、写り具合を確認できちゃうからね。フィルム時代がなつかしーわー。

なんて思っていると、彼が私にこう言いました。「この写真は良くない。もう一回撮り直してくれないか」

やっぱり(´-ω-`)……。私の写真下手は万国共通だったのだわ。もう一枚撮ったけれど、彼の渋い表情は変わらず。結局その彼、違う人に同じスポットでとってもらっていました。

夫曰く「天才的な下手さ」という私のカメラの腕。でも、一枚も撮らないよりはましでしょーってことでこちら。

Apart_downtown_031_1 Apart_downtown_002

………。 ま、とりあえず、「どちらがどっちか」は分かりますね(^∀^)ゞ

さて、わいわいがやがや仲間たちと楽しい時間を過ごしたあと。こういうとき、家に帰るとたいてい私は、興奮して夫にずっとべらべらしゃべっているか、「つかれたー」とか何とかぶちぶち言って家事を手抜きして早めに寝てしまうか…。とにかく「夏の暑さにあたる」「生牡蠣にあたる」かのごとく、「人にあたった」状態になってしまうようです。「人にあたる」という表現はちょっと違うかなあ。「人に酔う」? テンションは高いのですが、同時に気も使ったので少し疲れているという感じでしょうか。

単に英語で話すことで疲れたからなのでは? と思ったのですが、夫に言わせると、日本でも同じ状態になっていたとのこと。私は、初めて会う人や大勢の人たち(といっても、3人以上くらい)と長時間一緒にいると、遠足の後に興奮さめやらぬ不安定な子供みたいになるんだそうです。夫に迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、

私、こう見えても(どう見えているのか?)独身時代は、たくさんの人と毎日顔合わせて仕事していたんです。自分ではいたって安定した心の状態だと思っていたけれど…

でも毎日寝に帰るだけの生活に精一杯で、周りが見えていなかっただけで、もしかして両親や周囲の人に迷惑をかけていたのかも。(´_`。)

人とかかわることで励まされたり、喜びが生まれるのが人生ですが、一人きりで心からくつろいでリラックスする時間も大切にしたいと思う今日この頃です。一人でいると時に孤独を感じるけれど、孤独だと思うとまた人との出会いを有り難いと思えますものね。たくさんの人と知り合えなくてもいいから、たとえ数は少なくても、深くつきあいたいと思える人との出会いを大切にしてゆきたいと思っています。(*゚▽゚*)

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遅ればせながら…

なんと、今年に入って最初のブログ更新となります。遅ればせながら、みなさま、本年もよろしくお願いいたします。(^∀^)ゞ

台風のような日々も終わり、本を読む時間が戻ってまいりました!ヽ(^◇^*)/ 長らくパソコンの前に座っていなかったので、何でもいいから(?)何かしら記事を書きたくてしょうがない心境です。

……(´-ω-`)…… とりあえず一月も終わってしまうので、今年の抱負でも(おそいか)。

突然ですが、日ごろから「苦しみは比べるものではない」と私は考えています。というか、自分にそう言い聞かせています。

私は一人で過ごす時間も好きですが、女友達とのおしゃべり、これも楽しくて大好きです。(*゚▽゚*)こういうとき、悩みの打ち明け話になることって多いですよね(それが女の子!)。その内容は千差万別。正直言うと「それは、とても辛いよね」と思うこともあれば、「それは私にとってはたいしたことないのになあ」と思うこともあります。

この後者の「たいしたことないのになあ」的悩みを聞くとき、最近私はできるだけ自分の価値観を押し付けないように心がけています。どんなことも、その人がしんどいと思うなら、それは辛く苦しいことだからです。(と言い聞かせています)

少しの間、自分を「雨水をためる桶」みたいな状態にして、とにかくその人全部を受け止めてみます。自分のフィルターに通して濾過するのは、あと、あと。

そういう風に自分の判断を消して、相手をじっと見て、真剣に話を聞いていると、たまに色々なことがわかることがあります。その人の本当にしんどいと思う事柄は別にあることや、いろいろな理由があって打ち明け話はただのパフォーマンスであることや、相談ではなくそれが告白であることや、その人が背負ってきたものがその悩みを深刻にしていることや…

えらそうに書いていますが、「桶」に変身するのはとってもハードでして、心に余裕のあるとき短い時間しかできてません…o(TヘTo)

でもそうやって、自分という人間を少しずつでも広げていきたいと、いつも思っています。(けっこう忘れちゃうけど)

何が書きたいのか、よく分からない文章になってしまいましたが、今年一年も私は、

何をしたいかというより、どんな人間になりたいか、ということに目を向けて暮らしていきたいと思っています。そして目の前にある大きいんだか小さいんだかよく分からない世界に対して、どんなちっちゃなことでもいいから、何を自分は示していきたいか、それを問いかけながら毎日をのったりくったり生きていきたいと思っています。

これって本を読むことや、あえて英語で読むことにもつながってきますね(。・o・。)ノ

さて、かっこいい(かなりズレてる)今年の抱負を宣言し終わったところで、ふと思ったこと。自分の周りを見回してみると、わたしが「雨水を溜める桶」になることが多い人とは自然と疎遠になってきている! そして幸せなことに、自分がつながりたいと思う人に囲まれています。遠ざかっていく人とは単に縁がなかったのか、至らぬ私が「桶」になりきれなかったからなのか、いずれにしても人間のつながりって不思議なものですね。。。

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ジャマイカ

ジャマイカに行ってきましたヽ(*゜∀゜*)ノ

群青色から翡翠の色へのグラデーションが美しい海。

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そこに別の世界があると信じたくなる雲の峰がそびえる青い空。

Cimg1106_2 

 

私たちはいつも旅先でのんびりするのが好きです。

ジャマイカでも、すこし町へ出たり、ゴルフをしたりしましたが、あとはほとんどホテル内のビーチで過ごしました。よく冷えたビールやカクテルを飲みながら本を読んだり、音楽を聴いたり、泳いだり、昼寝をしたり…とても幸せなときを過ごしました。

本好きの私としては、旅先へ持って行く本のセレクションにはかなり真剣にとりくみます。今回は最近いつも英語の本を読んでいるので、日本語の本を持っていくことにしました。

こちら

日本の歴史をよみなおす (全) 日本の歴史をよみなおす (全)

著者:網野 善彦
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ジャマイカの遠い空から日本のことを考えながら読みました。

この本は、今まで疑問を持たずに信じてきた私の思い込みに新しい風を吹き込んでくれました。日本史という範囲を超えて、ものごとの見方、捉え方を教えてくれました。

なぜリゾート地にこの本を?と今となっては自分で自分が謎(´-ω-`)ですが、この本を読んで良かったと思っています。

ゆったりとした休暇を過ごすのが好きな私たち夫婦ではありますが、夫は私とは性格が反対で、とても社交的。ホテル内では、宿泊客のために一日中さまざまな催し物が企画されているのですが、彼は気が向くと、そういったプログラムにもどんどん顔を出します。ミニサッカーに参加して、イタリア人たちと仲良くなったり、夜のビーチパーティーでは同席のアメリカやカナダのご夫婦たちとすっかり意気投合、その後もバーで一緒に踊ったりお酒を飲んだり。私もおかげで、さまざまな国の人たちと触れ合う機会がたくさんできました。そしてその交流は、私にとってこの旅で一番心に残る楽しい思い出になりました。

お酒が入ってリラックスしてくると皆さん英語が早口になって、私はもちろんのこと、夫でもよく理解できないこともあったようです。それでも物怖じしないというか、少しくらい恥ずかしい思いをしても、どんどん人の中へ入っていって、新しい経験を積もうとする夫に今回は少し頭が下がる思いでした。

ジャマイカから帰ってくると、ジョージアはクリスマス。我が家は頑固に(?)日本風のクリスマスケーキを買ってきて(そういうケーキを売っているお店があるんです(*^-^*))二人でがつがつ食べました。

なんとも風情のないクリスマスでございました(^∀^)ゞ

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青空!in Georgia

今日は快晴!!

アメリカ南部にあるジョージア州も秋の気配。

南部といっても年中暑いわけじゃないんです…

 

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Simple Life

アメリカ南部ジョージア州に来て、もう一ヶ月が過ぎました。

はやすぎる!つい最近、よろよろになって空港についたと思っていたのに…

さて、私の住んでいるアパートの話ですが、四階建てのアパートが、敷地内に15ブロックくらいに別れて建っています。さらにその各ブロックに、3~5棟のアパートが集まっているんだからそれはもう広~い!!よく私は敷地内を散歩します。敷地内の駐車場は壮観! 車がびっしり並んでいます。

この辺は車がないとどこにも行けません。でも、実はわたし、超ペーパードライバーなんです。正直、車の運転あんまり好きになれません。今のところ旦那さんに運転は任せています。(今のところはね、と夫は言います)

そんなわけでここに来てから、周りに何もないからか、ショッピングに行きたい
と思わなくなりました。食料品も、買いだめした分でやりくりしながら作っています。日本だと、毎日に近いくらいスーパーに行っていたのに…テレビもあまり見なくなりました(リスニングがついていけないからか?)生活はどんどんシンプルになってきています。おかげで、自分は何が一番好きなのか、どんなことに情熱を感じるのかが、よりはっきりしてきました。

窓から青空と大きな松の木が見えます。風を入れようと開けると、鳥のさえずりが聞こえます。車の音は少し聞こえるけれど、とても静かです。最近は音楽をかけることも少なくなってきました。窓辺のソファーで、わくわくしながら(これ本当!)本を読みます。ちょっと、暗い人かなあ。でも幸せです。

この住まいがとても気に入っています。

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