ヴェイユの言葉

シモーヌ・ヴェイユの名前をなぜ素通りしてしまっていたのか、今ならよく分かる。
人間としてあまりにも未熟であるために、引っかからなかった。
向こうが一生懸命呼びかけてくれても、応えるだけの器を持ち合わせていなかった。

この世で不幸な人びとに必要なのは、かれらに注意を払うことができる人間である。
ところが、この能力は稀有である。奇蹟といってもよいほどに。それはまさしく奇蹟である。
この能力を有すると自負する人間の大半はこの能力に欠けている。”

”まったき隣人愛とは、「あなたを苦しめるものはなにか」と問うことに尽きる。”

ヴェイユが亡くなった年齢をとっくに超えた私が、やっと気がついた彼女の言葉。

周知のことだが、もちろん人間の実年齢は当てにならない。
年齢は重ねていっても、成熟には程遠い私のような人間がいる。

私が、ヴェイユの言葉にやっと耳を傾けられるようになったのは、娘と病院で生活してから。

医者も看護師もスタッフの方々も、同じように入院している子どもの母親も、
その多くは「何かお困りのことがありませんか」という(本当の)姿勢を忘れないで生きていた。

それがいかに人間を救うかを身を持って体験した。

”絶対的に純粋な注意力、もっぱら注意力でしかない注意力は、神へと向けられた注意力である。
神は注意力なきところに存在しな
いのだから。”

しかし何と言っても、子供たちである。小児科病棟に入院している子供たち。
ヴェイユの言う”注意力”そのものが、あの子供たちにはあった。
そのあまりの美しさに、私はただ頭を垂れる。
実年齢やあるいは精神年齢と呼ばれるもののその奥に、確かにたましいの年齢というものがある。

私はせいぜい地面にうつむくその頭を少しでも上げて、もたもたと要らない荷物をひきずりながら
歩き始めるしかない。

ヴェイユの言葉 (大人の本棚)ヴェイユの言葉 (大人の本棚)
S・ヴェイユ 冨原 眞弓

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cake cake cake
今、娘の心の中には、赤くて、あまずっぱくて、可愛くて、小さい妖精が住んでいるそうです。
その名もいちごちゃん。
あまりにも好きなので、心に住んでしまったそうで、お腹がすくと心でいつでも食べられるそうです。

もちろんそれだけでは足りなくて
スーパーに行くと、イチゴ売り場から動きません。
しかし高い! こんなの毎回買っていたらうちは破産です。

いちご味のチュッパチャップスでゴマかしちゃおうと、お菓子売り場に引っ張っていくと、
娘はこころのいちごちゃんもどこへやら、

「⚪︎ちゃん(自分の名前)、これが欲しいなー」
見ると、しろくまのぬいぐるみの写真が載っている箱(ガムが一つついている)
お値段、なんと、560円!

いちごちゃんより高いって!

⚪︎ちゃん、今日、ママお金ないんだー。これは高くて買えないから他のにしようか
「やだーやだーこれがいいー」
大好きな牛乳、買えなくなっちゃうなあ。
「いいよー。⚪︎ちゃんガマンする」
あ、ママ、そしたらお金なくなっちゃって、毎日働きにいかなくちゃいけないなあ。
⚪︎ちゃんひとりでお留守番になっちゃうけどいいのかな?
「⚪︎ちゃん、がんばるよ! ママ働いていいよ」
く……。この手はもう通用しないか…。
とにかく、今日はお金ないからダメー
結局泣きわめく娘を抱え、牛乳をつかむとレジに並ぶという力技に…。
最後に「ママオバケー出たー!」と大声で叫ばれ、周りの人に笑われる始末。

帰り道の公園に寄ると、娘の涙は乾いている様子。
大きな木に何やら手を合わせています。(最近、お祈りが流行中)

「今度、あのしろくまちゃんが買えますように、なーむー」
「あと、いちごちゃんも買えますように、なーむー」
「あ、それから、パパとママと⚪︎ちゃんが今日も元気に楽しくくらせますように、なーむー」
「あ、それと、おじいちゃんとおばあちゃんもおねがいします、なーむー」
「あ、それから、しんせきとともだちとパパのともだちとママのともだちと、それから…」

後ろで
「しろくまちゃんがスーパーから撤去されますように、南無ー」
「娘の心からいちごの妖精が去りますように、南無ー」
と、鬼ばばのような言葉を心で呟く私。

かみさま 娘を この子を どうかお守りください
お守りください 南無ー

何度繰り返したかわからない祈りを、そっとつけたす鬼ばばなのでした。


告白の欲望

”告白の欲望はともすれば直ちに製作衝動と間違えられる。
もとより体験の告白を地盤としない製作は無意義であるが、しかし告白は直ちに製作ではない。
告白として露骨であることが製作の高い価値を定めると思ってはいけない。
けれどもまた告白が不純である所には芸術の真実は栄えない。
私の苦しむのは真に嘘をまじえない告白の困難である。
この困難に打ち克った時には人はかなり鋭い心理家になっているだろう。
今の私はなお自欺と自己弁護との痕跡を、十分消し去ることができない。
自己弁護はともすれば浮誇にさえも流れる。それゆえ私は苦しむ。真実を愛するがゆえに私は苦しむ。”

告白の欲望。
和辻哲郎のこの文章に出会ったときから、私の頭から消えない”告白の欲望”。

言葉を手にしたからには、誰かに知ってほしい、聞いてほしい、見てほしい。
どんなに孤独であっても、それが自分のための日記であっても、言葉を発すればそれは誰かへの告白なのだと思う。
それなら自慢や自己弁護のない純粋な告白はあるのか。

”私が苦しむのは真に嘘をまじえない告白の困難である。”
”今の私は自欺と自己弁護との痕跡を、十分消し去ることができない。”

”真実を愛するがゆえに私は苦しむ”

真実なんてどこかへ吹き飛ばし、私の、自分の、この気持ちを届けたいなどと
確信犯の物言いをしているうちは、苦しみからは程遠い。
むしろ、ぺらぺらのカタルシスに満足した一人相撲の横綱は、
穴に落ちたことも気づかずに勝った気でいるのだ。
知らないことを自覚していない人間の、その恐ろしさ。


私は苦しめているだろうか。


偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集 (講談社文芸文庫)偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集 (講談社文芸文庫)
和辻 哲郎

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→こちらの『生きることつくること』という一編に含まれています。
青空文庫にも、入っています。

snow snow snow
人生のなかで、ほとんど初めてと言っていいくらい、本を読むことから遠ざかっていました。
時間がなかったというより、そういうことに心が向いていかなかったからです。
本を読むことには気力と体力がいるというあまりにも基本的なことを思い知りました。

スカイダイビングや陶芸などと比べると、読書は気軽な趣味に入るかもしれないけれど、
好きな読書をこつこつ続けられる体と心をつくっていきたいと思っています。
でも、具体的にはどんなことしていけばいいのか…。
たましいの器である体も、たましいに繋がる精神も、鍛えていかなければいけないなあと思っています。

ここにはああいう人しかいない

短編集『アメリカの鳥たち』の作者紹介には以下のようにある。(一部抜粋)

”ローリー・ムーア 遊び心のある洗練された言葉で、都市生活の男女の機微をシニカルに、ユーモラスに描き、絶賛を浴びた。本書に収録された「ここにはああいう人しかいない」では、我が子がガンに冒された経験をもとに小児がん病棟を描き、新境地を開いた。”

彼女の子どもがまだ赤ん坊のときに腎臓癌が判明し、病院で手術をし、退院するまでのこの話は、しかしお涙頂戴のメロディは聞こえてこない。

”陳腐なアドバイスに従って生きよう。一日ずつ生きましょう。ポジティブな態度で生きましょう。ハイキングに行きましょう。有益で真実で興味深いことがもっとあればいいのに、と思う。だが今は、有益で真実なのが退屈なことばかりらしい。一日ずつ生きましょう。少なくともわたしたちには健康があります。陳腐。見えすいている。一日ずつ生きる。そんなことに脳みそは必要なのか?”

子供は親の心などどこへやら、病院を気に入っている。
彼女もまた、他の親と同じく「スウェット」を履き、ラウンジでしばし休憩をとる。

”なんとか乗り越える。それがここの人たちのやりかただ。彼らの生き方にはある種の勇敢さが感じられるが、じつは勇敢さとは異質のものだ。それは自動的で、ひるむことを知らず、機械と人間の混ぜ合わさったもので、消耗が激しく議論の余地のない義務だ。互角の相手と壮大なチェスの対戦をするように、一手一手病気に挑んでいるにすぎない。”

とにかく前に出たり挑戦のためにしかけることはせず、その場をしのぐ。乗りきる。そうきたら、こうする。ああ来たら、こうやる。
毎日、毎日、その繰り返しを積み上げていく。

夫は彼女に「記録をつけろ」と言い、ローリー・ムーアはこの物語の最後に、”これが記録だ”と書いている。

しかし、同時にこのような記述がある。

”旅行と旅行物語はつねに別物だ。語り手は家から出ない。それなのに旅人の口にその口を押しつけ、口を無理やり動かし、口に語らせる。語れ、語れ、語れ。ある場所を訪れた人が、その場所について語ることはできない。見ることと語ることを、すべてひとりでこなすことはできない。”

ローリー・ムーアは、フィクションを描いた。
そしてその物語は、不思議と私を励ます。
決して明るいとは言えない題材にもかかわらず、励まされるということが起こるのだ。
本を読んできてよかったと思う。

アメリカの鳥たち
アメリカの鳥たちローリー ムーア Lorrie Moore

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約5年ぶりのブログ、あまりにも離れていて忘れていることがたくさんweep
まずはブログにログインできない、本の画像を貼り付けできない、文章がすらすら出てこない。
昼は娘と遊んでへとへと、夜は溜まった家事もこなせず娘と一緒に寝入り、朝は娘に起こされる始末、
何よりも時間がない!

それでも、子供も四歳ともなると、ほんのわずかな時間、手が離れることはあるんですねーbleah
その細切れ時間を、使う。というか、それしかないsign03

誰に頼まれたわけでもないのに、それでも何とか言葉にしたいこと。
それを手探りしながら、集めて整えてかたちにできたらと思っています。


親子小説

アメリカから帰国したら『古典』に挑戦してみようと、うずうずと思っていました。

アメリカで暮らして、日本の良さを改めて認識するというのはありがちですが、私もまたそのありがちな人たちの一人だったわけです。

アメリカというのは、やっぱり良い意味でも悪い意味でも”新しい国”なんだと思う。アメリカ人が、ヨーロッパやアジアの文化にほのかに憧れを抱くというのは分かる気がします。

英語もうまく読みこなせないくせに、えらそうなことを分もわきまえず述べてしまうと、日本語の奥行きのある感じ、一枚向こうにまた何かにおわせる力を感じる部分は、そのまま歴史の長さ、奥深さにつながるような。

そのくせ、実際に帰国しても、私は『古典』と呼ばれる作品に手が伸びないでいました。久しぶりに帰ってきた日本には、現代の面白そうな本があふれています。

そんなときに会った友人がこんなアドバイスをくれました。

「今は『古典』の作品をテーマにした面白い本がいっぱい出てるから、まずはそういう本を読んでみて、興味があったら実際に読んでみたら」

確かにそうです! 私はどうも変にかたくなで、肩に力が入っているというか視野が狭いというかそういうところがあるようです。

『古典』のなかでも特に挑戦してみたいと思っていたのが”源氏物語”です。私のお気に入りのブログ<英語は楽し>でさくらさんが、英語で”源氏物語”を読むことに挑戦されています。それまで恥ずかしながら漫画の”あさきゆめみし”しか読んだことがなかった私ですが、さくらさんのブログで<源氏物語=華麗な恋の絵巻>というイメージが少しずつ変わってきました。

さくらさんのユーモアあふれたつっこみを楽しみながら、源氏物語には、毒があり、滑稽な人間模様あり、そして悲しい人間の性がありと、奥の深い豊かな物語であることが分かってきてどんどん興味がわいてきました。

源氏の男はみんなサイテー (ちくま文庫) Book 源氏の男はみんなサイテー (ちくま文庫)

著者:大塚 ひかり
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友人から大塚ひかりさんという名前を教えてもらい、本を検索して何だかほっとしました。この表紙、この題名、私でもとっつきやすそう。

目次を読んでもらえれば、その面白さは十分分かっていただけると思います!

・光源氏 実は昔からもてなかった彼

・頭中将 体育会系男の女々しさと律儀さ

・柏木 「悪役」光源氏の引き立て役

・夕霧 俗物化していく息子

などなど。他の登場人物についても、大塚ひかりさんは、サイテー男たちをバッサバッサと斬っていきます。

そして、この本の副題は”親子物語としての源氏物語”。

源氏物語は、光源氏の両親の物語から始まります。

『源氏』が常に現代的なのは、そうした時代的な悲劇が、桐壺帝という個人の悲劇として描かれ、さらにその苦悩が、子供や孫、曾孫といった子孫達に受け継がれ繰り返されていくところだ。

そして、親子物語は、光源氏の長男夕霧と、頭中将の長男柏木に続いてゆきます。光源氏と柏木、頭中将と夕霧、という形で、まるで血筋が受け継がれるかのように、たがいちがいに似通っている点を指摘し、大塚さんは次のように述べています。

親は子に、自分が果たせなかったものを求め、子はそれに反発しながらも、無意識のうちに親の望みに応えようとする。そして身をあやまち、ときに親の期待とは正反対のねじれた結果を招いてしまう。そうして獲得した子供の世界が、親の世界と比べてどれだけましかというと、場合によっては親以下だったりする。そんな悲しい親子の仕組みが『源氏物語』にはある。

どきりとしました。これから親になる予定の身。

更に、父方も母方も共に敗北者の系譜上にあるという、薫の暗い人生へと指摘は続いてゆきます。

元気にお腹で動いている赤ちゃんに、私はこう思います。

無事に元気に生まれてきてくれますように。

それだけでもう十分。

押し付けず、導くことができますように。

刷り込まず、育むことができますように。

とはいえ、大昔から読み継がれている『源氏物語』に書かれているくらいだから、親の子への愛というものはそんな風に頭で考えるような理想通りにはいかないことでしょう。

『源氏物語』に出てくる人々のように、悩み、苦しみ、時には涙を流し、一方で生きる喜びに震えながら、体ごと経験しながら生きていくしかないのかもしれません。

けれど、やはりまだ甘いのかもしれませんが、それでも私はこれからの親になるであろう自分の人生が楽しみで仕方がないのです。

改めて紫式部という人はすごい才能の持ち主だったのだなあと思いました。そして、大塚ひかりさんのこの本は、表紙のイメージとはほど遠い(というのは失礼ですが)読み応えのあるずっしりとした本でした。

apple興味のある方は、ぜひさくらさんの<英語は楽し>もご覧ください!

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ゆるゆるの日々

私は”エッセイ”(随筆)が大好きである。最近は脳みその動きが鈍くなったのでやっていないのだが、以前は和書の場合、小説とエッセイを少なくとも二冊以上は平行読みしていた。

小説なら割と慎重に選ぶ私でも、エッセイになるとお堅いものから軽いものまで何でも読む。中には司馬遼太郎さんや、幸田文さんのように、小説にはあまり手が伸びず、エッセイのほうがよく読むという作家もいる。

特に私は”ゆるゆるエッセイ”の大ファンである。”ゆるゆるエッセイ”とは、ブログを書いているこの瞬間、私が勝手につけた思いつきの名称である。主に身の回りの日常のことを題材にする。食べ物、ペット、旅行、ファッション、周囲のおもろい人や出来事などがテーマであることが多い。

憤怒のぬかるみ―さんざんな男たち女たち (集英社文庫) Book 憤怒のぬかるみ―さんざんな男たち女たち (集英社文庫)

著者:佐藤 愛子
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犬たちへの詫び状 (文春文庫) Book 犬たちへの詫び状 (文春文庫)

著者:佐藤 愛子
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佐藤 愛子さんのエッセイを、私は中学生のころから読んでいた。このほかに『娘と私シリーズ』というのがあって、これも大好き。考えてみれば、面白くて笑える文章の私のスタートは佐藤 愛子さんのエッセイだったかもしれない。

どぜうの丸かじり (文春文庫) Book どぜうの丸かじり (文春文庫)

著者:東海林 さだお
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ホットドッグの丸かじり (文春文庫)

このゆるゆる感、良いですね~。脳がゆるみ、体がゆるみ、あまりに美味しそうなので口元までゆるんでしまう。

他にも”ゆるゆるエッセイ”の作家にはお勧めの人がたくさん。村上春樹さんの『村上朝日堂シリーズ』や、群ようこさん、宮沢章夫さんなどなど。

こういう”ゆるゆるエッセイ”のことを、万が一にでも「しょーもない。誰にでも書けるわい」などと鼻で笑っている方がいらっしゃったならば、お腹が大きい私だが、一発何とか回し蹴りを差し上げたいくらい、怒ってしまうと思う。

こういう文章は確実に絶対に誰にでも書けるものではありません!と言いたい。読んでみればよく分かる。実際に自分で文章を書いてみれば、もっと痛いほどよく分かると思う。

熱いお茶を入れて、お気に入りのクラシックの曲を小さな音でかける。ソファーに横になって座り、”ゆるゆるエッセイ”のページをめくる。一つ一つの章立てが短いので、一話を読みきったときに疲れてたら本を置いて目をつぶる。静かなピアノの音を聴いているうちに、何だか意識が遠のいていく…。

…と思ったら、赤ちゃんがお腹でムクムク動いた! 私は目を開けて、お茶を一口飲み、また本のページを開く。スピーカーから春のひだまりのような柔らかいクラリネットの曲が流れる。

”ゆるゆるエッセイ”を手に、私のゆるゆる妊婦生活が過ぎてゆく。

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将軍に完敗

私の母は、あまのじゃくな私と違ってたいへん素直である。本屋に平積みしてある話題の本を、素直に躊躇せずに手に取って買ってくる。この本たちが、悔しいことにものすごく当たりであることが少なくない。

『チーム・バチスタの栄光』に続いて母に貸してもらったのがこちら。

ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫) Book ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫)

著者:海堂 尊
販売元:宝島社
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ジェネラル・ルージュの凱旋(下) (宝島社文庫)

少し前から映画も公開されて、かなり話題の作品。東城大学医学部付属病院の窓際族<田口 公平>と、厚生省のロジカルモンスター<白鳥 圭輔>の凸凹コンビが送る”メディカル・エンターテイメント”。

今回は、救命救急センターが舞台。センター長は『ジェネラル・ルージュ(血まみれ将軍)』と呼ばれる切れ者の<速水 晃一>。この速水の収賄疑惑を、同期で友人の田口が捜査するはめになる。

最近めっきり”血”の描写に弱くなった私だが、母からこれなら大丈夫と言われた通り、食欲のかたまりである私の腹時計が、昼ごはんを食べる時間を知らせ忘れるという、考えられない誤作動を起こすほどの、”血”の心配も吹き飛ぶ吸引力のある作品だった。

とても途中で本を置くことができない。こんなに医学の専門用語が出てくるのに、そして今回は会議という場で議論を延々と続けるという場面が少なくないのに、ページをめくる手がまったく滞らないのはなぜだろう。

登場人物のキャラクターが魅力的に書きこまれているし、会話をはさんで進む文章のリズムに乗りやすいし、ユーモアを忘れていないし、読者が期待している箇所で爽快感を感じさせる描写がきちんと用意されている。

医療の根幹の一つを担う『救急医療』が、かたや病院のお荷物となる採算のとれない分野となる矛盾を、現場のさまざまな立場の登場人物たちに分かりやすく語らせることで、深刻な問題として浮き彫りにしていく。

『チーム・バチスタ』でも感じたのだが、ラストが私は好きだ。さわやかで、未来に繋がる希望を感じさせる。

知識を得てためになる、考えさせられる、刺激になる、じゃなくて

読書は楽しむためにあるのですsign03

本は喜びのためにあるのですsign03

と、思わず叫び出したくなる気持ちになる作品でした。

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お鳥見女房

お腹が大きいことを理由に、日中からソファーでゴロゴロして、WBCを観戦している今日この頃ですcoldsweats01。プロ野球のナイター観戦は必須、高校野球が始まると半日テレビをつけっぱなしにしていたうちで育ちました。最近は夫の影響で、サッカーやバスケ、アメリカにいたころはアメフトまで観戦するようになりましたが、やっぱり野球が一番身近なスポーツですheart04。日本がんばれsign03

自分が運動オンチなので、余計にそうなのかもしれませんが、スポーツに取り組む人の姿には、本当に(すぐに)感動します。いくら言葉を駆使しても届けることのできない、人間の素晴らしさをスポーツに関わる人たちは、たくさんの人々の心に響かせることができるような気がします。真剣に勝負に挑む選手やそれに関わる人たちを見ていると、人間は善きものであることを、真っ向から信じたくなります。

そしてこちらも『人間は善きものである』ことを信じたくなる読後感の良い作品でした。

お鳥見女房 (新潮文庫) Book お鳥見女房 (新潮文庫)

著者:諸田 玲子
販売元:新潮社
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主人公の<珠世さん>は、矢島家の女房。長女は嫁いだものの、三人の子供たちと退職した父親と暮らしています。この矢島家は、代々『御鳥見役』というお役目を勤めているそうです。どんな仕事をするのかというと、将軍の鷹狩のために雀を捕獲する、鳥の生息状況を調べるなど。でも実は実は、幕府の『裏の任務』も請け負っているのです。この裏の任務に<珠世さん>の夫はつくことになり、家を空けることになります。

夫に代わり、一人で家を切り盛りする珠世さんのもとに、子供5人をひきつれた浪人風の男と、なにやら事情を抱えていそうな剣の腕の達者な女の子が居候することになります。

この作品には、時代ものにありがちの斬った斬られたという話はほとんど出てこないです。縁あって自分と関わった人たちの心を少しでも明るくしようと努める珠世さんの物語だからです。

7つの話が収められている連作集なのですが、どの話でも、心が温かくなり、たとえ「悪役」が出てきたとしても、そんな登場人物たちも含めてみな、人間てやっぱり善きものなのだなあと信じたくなります。

珠世さんは人の心を思い、何よりも人の『善』を信じます。世の中そんなにうまくはいかないよ、と言いたくなる私でしたが、この本を読んでいるうちに、珠世さんのように人の『善』を信じる強さが自分にないだけだと気がつきました。そして、人の心を思い信じる人間の周りには、きっと善い人達が集まるのだろうということも。

向田邦子さんの妹さんである、向田和子さんは、あとがきにこんな言葉を寄せています。

珠世さん、親友になりたいんです。

私も、善い人達が周りに集まってくる珠世さんのように、人の『善』を信じる強さを持ちたいと思いましたconfident

こちらの本は、私のお気に入りブログ、雫さんの『Drop's Happy Reading Day 』で知りました。洋書はもちろんのこと、和書も素敵な本がたくさん紹介されています。雫さん、ありがとうございましたshineにほんブログ村 本ブログへ

引き受ける

ほとんど動物的な衝動で『絵本』を読みたいと思った。後づけでいくらでも理由はひねり出せるけれど(妊婦だからとか)、あれこれの理屈は置いておいて、体が求めているというのが一番しっくりした理由である。

子供のころ絵本を穴があくほど見つめていた(読んでいたというより)ときの、わくわくした気持ちを思い出した。活字は多いほど良いと思っていた私の変化。こういう自分も面白いなあと思う。

ルピナスさん―小さなおばあさんのお話 Book ルピナスさん―小さなおばあさんのお話

著者:バーバラ クーニー
販売元:ほるぷ出版
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表紙の絵にまず吸い込まれる。海の青、丘の若草色、丘の上に一人立つルピナスさん。

温かく優しい色使い、ルピナスさんの顔をすっと上げた立ち姿、同時にそれらとは相反したある気配がそこにはきちんと塗り込められているのを感じる。言葉にすればそれは、寂しさとか辛さとか苦労とか、そうやって表現されるものなのかもしれない。バーバラ・クーニーの絵には、言葉という表現で区切られて取りこぼされてしまった、あいまいな『気配』というものがきちんと描かれているように思う。

このお話は、ルピナスさんと呼ばれる小さなおばあさんの、アリスと呼ばれる少女時代からルピナスおばあさんになるまでの一生の物語である。子供のころにおじいさんと結んだある約束を、ルピナスさんは自分がおばあさんになってから果たすのだけれど、私としてはルピナスさんは一生をかけてどの局面においてもその約束を果たしていたのじゃないかなあと思う。

ルピナスさんの一生のうち、年をとってからの絵のほうが私はだんぜん好きだ。そこには何かきっぱりとした潔さが感じられる。

最後のページ。生き生きと動いている子供たちのずっと奥の丘の上に、ルピナスさんの小さな小さな影が見える。薄いオレンジと桃色が溶けだす夕闇の空気のなかにルピナスさんが一人で立っている。

”幸せ”と呼ぶものに付随する全てを引き受けるということ。

人生とはそういうものなのではないだろうか。

ルピナスさんは、私のあこがれの女性である。

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本当に本当のこと

妊娠7ヶ月に入り、体重の増加が心配wobblyだと先日記事に書いた覚えがあるけれど、実は私の通っている病院のお医者さんは体重に関しては、あまりうるさく言わないのです。だから私もあんまり神経質にならずに、食べたいものを食べていますbleah

助産婦さんからも同じような話を聴きました。数年前までは、体重をとにかく管理して、あまり脂肪のつかない状態でお母さんが赤ちゃんを産むことが安産につながるし、産後のお母さんの体調の復帰も早いとされていたけれど、今の流れでは、どちらというと少し体重が多めでもあまり気にせず、ゆるやかに体重を増やしていくことが大切だそうです。細い人が多い現代では、体重を増やさない状態で産まれた赤ちゃんは、将来的にも糖尿病など栄養状態に問題があることが多いというデータが発表されたことも一因だとのこと。

そのほかにも、母乳信仰が強まっている話(以前はミルクを併用するのが普通だったとのこと)、また昔は骨盤を広げる運動などが勧められていたこともあったけれど、今の妊婦さんは筋肉が不足している人が多いため、骨盤がゆるみやすく、ベルトなどで骨盤を締めることが早産や腰痛の予防につながることなどを聴き、時代が変われば

「正しい」と思われていること

は変わるのだなあと思いましたconfident。そしてもちろん、これらのこともまた絶対ではないのです。

「知る」ことは大切なことだけれど、何かを知ったあと、自分の感情を信じて地に足をつけた判断ができるようになりたいなあと思いました。判断が正しかったか、間違っていたかと悩んだときも、見失わずに自分の気持ちに素直に動いていれば、それは結局、最後の最後には本当に本当のこと(自分にとって正しかったこと)だと捉えられるような気がしますconfident

泣き虫弱虫諸葛孔明 泣き虫弱虫諸葛孔明

著者:酒見 賢一
販売元:文藝春秋
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「三国志」っていえば、映画「レッドクリフ」を観る前に急いでレンタルのお店に行き、横山光輝さんの漫画「三国志」を、赤壁の戦いに入るちょっと前から十数冊を借りてきて斜め読みして「レッドクリフ」に挑み、諸葛亮孔明=金城武=男前+賢い+冷静+おだやか…そう+優し…そう などという、あまりにもなめた図式しか頭に残らなかったことしか覚えがありません。

けれどこの本を読むと、その諸葛孔明像が、がらがらと音をたてて崩れます。ならびに劉備率いる蜀の皆さんについても、結局ただのけんか好き、酒好きのやくざ一家のようなものだったのだと、これまた映画のイメージは一片のかけらさえも残らずに崩れ壊れてゆきます。

酒見賢一さんはこう書いていらっしゃいます。

「しかし、こいつら、なんでこんなに戦争ばっかりしてるんだ?」

と感想せざるを得ず、大陸人同士が、やめりゃあいいのに人口が半減するほどの殺し合いを飽きもせずに続けるという異様な話なのである。

そう、そうだよね!と、私は何だか嬉しくなって、すっかり酒見さんの術中にはまってしまった。だって、本当にそう思ったんだもん。漫画読んだときも、もうずーっとずーっと、とにかく戦いが続いていて、「赤壁の戦い」からだったけど、とても最後まで読む気になりませんでした。まあ、どんだけ兵士たちが火で焼かれ、水に沈められ、首をはねられ、無残に殺されてゆくのでしょう。意外にもあっさり中心人物たちも死んじゃうし。

いや、それが男のロマン、そして中国史とはそういうものです、って言われればそうかもしれませんが。

その上で諸葛孔明とはどういうひとだったのか。

とにかくわたしの目には、まずは、孔明が、おとなげない男、と印象づけられたことは確かである。

そういうわけで、酒見さんの諸葛孔明伝が始まる。その奇人変人ぶり、「馬鹿と紙一重」的なある意味、大器を思わせるカン違いぶりに、思わずふきだしてしまいました。作者のつっこみがまた良いんですね。

本当は孔明も他の三国志の英雄たちも、ただのとぼけた(?)おっさんだったのかもしれない。たまたまた戦乱の世が、性格に合っただけなのかも。(何しろ蜀はただのけんか好き極道集団)

本当に本当のことは、誰にも分からない。毎日テレビや新聞のニュースを見て、そういうものだと鵜呑みにして、怒ったり不機嫌になったり落ち込んだりしている私に、いやいやもっと色んな角度から見てごらん、と教えてくれたような楽しい楽しい読書でした。

第一部は、孔明が劉備のもとで采配をふるう前、つまりは『三顧の礼』のところまで。

第二部も楽しみです!にほんブログ村 本ブログへ

活字に帰る

妊娠前半期には、ずっと遠ざかっていた活字。6ヵ月を過ぎたころから、何だか文章を読みたくなり、運動がてら図書館に通うことにしました。やっぱり図書館て楽しいですよね。あれもこれも読みたくなるけれど、普段より少なめに借りることにしました。本を読む速度が落ちているのです。

選ぶ本も変わってきました。重たい本、というとちょっと抽象的だけれど、深刻な問題を提起している本や、少し複雑な文学的要素の強い本、けっこう凄惨なシーンのある本たち、今まで決して嫌いではなかった、というか、好きでした。でも今の私には、あまりにも真に迫ってきてしんどかったり、頭の芯がどんよりして心が疲れちゃったりして、読みたい気持ちになりません。

できるだけ、ここではないどこかに連れ去ってくれる本が読みたい。

狐笛のかなた (新潮文庫) 狐笛のかなた (新潮文庫)

著者:上橋 菜穂子
販売元:新潮社
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影の棲む城〈上〉 (創元推理文庫) 影の棲む城〈上〉 (創元推理文庫)

著者:ロイス・マクマスター ビジョルド
販売元:東京創元社
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 影の棲む城〈下〉 (創元推理文庫)

どちらの作品も、ファンタジー。『狐笛』のほうは少女が主人公で、『影の棲む城』は40歳の女性が主人公。年齢差はあるものの、ある日突然、自分ではどうすることもできない運命に翻弄され、いったんはそれを拒み、受け入れることを決め、自身の使命を果たすべく悪と戦い、恋愛や友情を通してひとまわり成長するという、ファンタジーの王道的ストーリーは同じ。けれど、いつのときも"指輪物語"から"ハリー・ポッター"まで、このストーリーは人の心を打つものなんですよね。

どちらの作品も「魔」にとりこまれる人間たちが出てきます。そしてその「魔」を取り除くべく闘うのが主人公です。ファンタジーですから、現実とかけ離れた架空の世界が舞台ではあるけれど、「魔」に取り付かれた人たちの、心が荒んでいかざるを得ない事情や要因を知ると、現実の世界にも「魔」にとりつかれて自分を失っている人はたくさんいるのではないか、と思わされます。そして彼らがただの駄目な奴でも弱い人間でもないことも痛感します。

『狐笛』のほうは、ラストが印象的。悲しく美しい、日本人の愛する物語だと思います。『影の~』のほうは、夫に先立たれ、娘は嫁いでしまったという40歳の女性が主人公ということで大人のための物語。架空の物語とはいえ、彼女の考察や感情の内容はとってもリアルだと感じました。ファンタジーはまずはその世界にすんなり入れるかどうかで、好き嫌いが決まってしまうところがありますが、どちらの作品も複雑な架空の地図などを理解しなくても、楽しめる作品だったと思います。

双頭の悪魔 (創元推理文庫) 双頭の悪魔 (創元推理文庫)

著者:有栖川 有栖
販売元:東京創元社
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私はあまのじゃくなところがあります。本の売れ筋ランキングや○○ベストテン、何とか賞受賞作品とか、本屋に大々的に平積みしてあるものとか、気になってチェックするくせに今は読んであげないのよー、などと心の中で強がりを言い、しばらく放っておいて、それでも読みたいと思えば手に取ることが多いです。

だからどうしても「何をいまさら」感たっぷりの本のセレクションになってしまいます。この作品もミステリー好きの方なら、いやそうでなくても、もうとっくに読了された方が多いのではないかと思います。

大学生の有栖川有栖たちが、同じ推理研究会の有馬麻里亜(ありままりあ)を救出するために、四国の人里離れた芸術家の村に訪れて、殺人事件に巻き込まれるという話です。

何だか登場人物の名前や、事件の起こる舞台が、現実から離れた感じがしたので、これなら楽しめるかもと思って手にとりました。確かに面白くて夢中になって読んだのですが、読んだあと重たい石が胸を押しつぶしているような気持ちになってしまいました。それだけこの作品が優れているということになるのでしょうが、陰鬱な雰囲気とか人の悪意だとか、殺人現場のシーンなどがどうにも頭から消えません。日本の現代もののミステリーはしばらく止めたほうがいいかなあと思いました。

パディントン発4時50分 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) パディントン発4時50分 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

著者:アガサ クリスティー
販売元:早川書房
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なぜ『双頭の悪魔』と同じ連続殺人事件が起きるのに、こちらを読むとむしろホッとするのでしょうか。翻訳物ということで、すでに舞台が日本ではないうえ、時代もずれているのが大きいと思います。それから、ミス・マープルの魅力! 私が帰ってくる場所にいつまでも居てくれる気がします。肩の力をぬいて、お茶を飲みながらミス・マープルの活躍を楽しみました。

そういうわけで、これからも本の力を借りて、色んな場所に連れて行ってもらい、心を癒してもらったり、潤ってもらったりしたいと思いますnotes

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