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もうあの靴は履けない

一年余りの娘の入院生活の中で私は、今を生きる、という感覚を体で覚えたような気がする。

「目の前の一日をよく生きると、それが明日へつながっていく」ということなどは、
もうさまざまな啓蒙書まがいの本で耳にタコの言葉なのだが、それは何と本当のことなのだ。

抗がん剤の点滴が終わり、小坊主みたいな娘(副作用で髪の毛がぬけるため)が、
ベッドの上でぴょんぴょんはねながら大きな声で歌をうたっているのを見ると
つい私の口元はゆるみ少し幸せを感じてしまう。

白い建物のなかで外に出ることもめったにかなわず暮らしてきた私と娘だが、
退院したあと、世界はどのように見えたかといえば、ただただ同じ風景が広がるばかりである。
色彩をもった町が急にモノクロームに沈むことはなかった。

娘はあっという間に公園の遊具に慣れ、そこでにわか友達を作ることに躊躇もなく、
そういう娘を同じ年頃の子供たちは、たとえ生え始めた髪が女の子にしては異様に短くても、
こちらが拍子抜けするくらいにすんなり受け入れ遊び始めるのだ。

私はといえば、娘のかんしゃくにイライラする自分を抑え、
これで幼稚園は大丈夫かしらと気を揉み、終わることのない家事に少し疲れながら
以前と同じ日々を乗りこなしていく。

けれど、ふと地面がきしむ音がする。
地面がぐにゃりとずれた狭間にひとりだけスッと入りこむような感覚におそわれることがある。
分かっている。
多少の頓着はあっても邪気なく履いていたあの頃の靴はもうはけないのだ、確実に。
今の足に合う靴は、この世界のどこを歩くのだろうか。
少なくとも今、歩いている『ここ』だけは、有る。
それがどこに続くのかは、今の歩みが決めるのだ。

大病をわずらう子供をもつ母親は、命さえあればと祈るような気持ちで毎日を送るわけですが、
それでも腹が立つときは腹が立つものです。
治療では苦い薬を一日に何度か飲まなければいけません。
小さい子が涙目で飲んでいる姿に、全く心が動かないとは言いません、
言いませんが……

「薬がんばって飲んだからーチョコちょうだい」←娘
そうだよねーえらかったよねーはいどうぞ。←私
「もう一個ほしくなっちゃったーえへへ」(と可愛く笑う)
これで最後だよ。はいどうぞ。
「チョコは食べたけどークッキーはまだだよねー」
もう夜だから、今度にしようね
「やだーやだーお薬がんばったもん」(泣きまねの準備のため口がへの字に)
「… …。」
じゃあ、ひとつだけだよ。ひとつだけでおしまい。指切りげんまんだよ。
「えーどうしてー?」(涙は出ない泣き顔)
「(怒)」
「あ、ママー、ホットミルクよろしくねー」(泣きに失敗、作戦を変える)
((怒)(怒)」
「あと、何だかミカンもたべたくなっちゃったーひとつだけー」
「(怒)(怒)(怒)」
「ママーホットミルク、早くしなさい!」(ママの口調そっくりの命令形)
「いいかげんにしなさい!」

少なくとも私は広い心を持つ聖母にはなれませんでした。
ほんと、女の子の口の達者さ、恐るべし。

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