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月と六ペンス

初めてカズオ・イシグロの「日の名残り」を読んだときの喜びを覚えている。外国の小説だということを忘れた。翻訳された小説だということを忘れた。訳者の名前を見ると<土屋政雄>とあった。次にマイケル・オンダーチェの「イギリス人の患者」のページを開いた。原書を挫折したこともあって、苦手意識がついた作品だった。書き出しから数ページで、大げさでなく打ちのめされた。訳者はやっぱり<土屋政雄>とあった。

そういうわけで、今回手に取ったモームの「月と六ペンス」は、大変失礼なのですが、モームというより土屋政雄さんの名前で手にとった。だいたい、私はモームがどういう人なのかもよく分かっていない。けれど面白かったのですよ、これが。

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫 Aモ 1-1) Book 月と六ペンス (光文社古典新訳文庫 Aモ 1-1)

著者:モーム
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主人公の<チャールズ・ストリックランド>は株式仲買人。上品な妻と子供たちと共に穏やかに、平和に、暮らしていた。ところがある日突然、彼は家を出て行ってしまう。<チャールズ・ストリックランド>の妻は、知り合いで作家の<私>に、夫を連れ戻してほしいと頼む。語り手の<私>は、<チャールズ・ストリックランド>を説得しにパリへ向かう。しかし、退屈な男だと思われていた<チャールズ・ストリックランド>は、<私>の予想をくつがえす強烈で獰猛でエネルギーのかたまりのような男だった。

「では、いったいなぜ奥様を捨てたんです」

「絵を描きたくてな」

私はただ驚き、呆然とした。ストリックランドの顔をずいぶん長い間じっと見つめていたと思う。

画家ポール・ゴーギャンをモデルにしたと言われる、狂信的ともいえる一途さで絵を描き続けた男の物語がはじまる。

<チャールズ・ストリックランド>は、動物の本能のように絵を描く。他人にどう思われようと構わない。絵は人に見せるために描いているのではない。

「子供だな。個の意見すら気にならんのに、群れの意見を気にしてどうする」

そんなストリックランドとその周囲の人々を、<私>は容赦なく、ばっさばっさと斬りながら、物語を進めていく。ストリックランドよりも冷徹な人間がそこにいる。

五年後、<チャールズ・ストリックランド>に捨てられた妻は、事業を起こしまずまずの成功を治める。そして、ためらいがちにストリックランドに多少の援助をしたいと<私>に申し出る。そこで<私>はこう思う。

だが、親切心からの申し出でないことはわかっていた。苦難が高貴な性格を作るというのは真実ではない。幸福が心の気高さを生むことはときとしてある。だが、苦難は、だいたいの場合、人を狭量にし、意地悪くする。

更に<私>は、ストリックランドの絵を見て興奮はしたが、深く困惑してしまう。<私>はストリックランドに、絵画があなたにとって最適な手段なのだろうか、と問う。真っ向から刀を抜いてくる。

私たちは、言葉の分からない外国に来た旅行者だ。美しいこと、意義深いこと、言いたいことは山ほどあるのに、実際に言えるのは会話教本の例文に限定される。頭がアイデアで沸き返っていても、口は「これはペンです」としか言えない。

という風に刀を振り上げ相手を動けなくさせた後、

結局、印象として最後に残ったのは、とてつもない努力、の一言に尽きる。

と、ばっさり、ゆく。

<感動>でもなく、<才能>でもなく、<努力>。

酷である。そう思うのは私だけだろうか。

しかし、冷徹なのは<私>だけではない。物語は、ストリックランドがやがてタヒチに向かい、そこで絵を描きまくり、極貧のなかで病に蝕まれ、亡くなるまでを追うが、ほんとうの物語の最後はまだやって来ない。舞台は、捨てられたストリックランド夫人のために用意されている。死後名声を得た天才画家<チャールズ・ストリックランド>の妻として、堂々と大役をこなす。夫人の家には、ストリックランドの絵が飾られている。タヒチの奥地で彼が一緒に生活をしていた、女と子供と老婆の家族の絵だ。何不自由ない生活をしている夫人のしたたかさ。

「ときにはわずらわしくもなりますけれど、でもね、チャーリーについて知るかぎりのことを話して差し上げるのが、天才画家の妻だったわたしの義務だと思いますの」

誰よりも冷徹なのは、もちろんモームなのだ。

<チャールズ・ストリックランド>は<私>に、絵をあきらめて奥さんのもとに戻るよう説得されたとき、こう答えている。

「描かねばならんと言ったろうが。自分でもどうしようもないんだ。水に落ちたら、泳ぎがうまかろうがまずかろうが関係ない。とにかく這い上がらねば溺れる」

何と残酷なのだろう。何と残酷で、うらやましい人生なのだろう。

音楽家は、作曲家がこめた魂を響かせるために五線譜の上のおたまじゃくしを音に変えて世界をつくりだす。翻訳家と呼ばれる方たちにもそんな力があるように思う。最近読んだなかでは、ミステリーのフロスト警部シリーズと、この月と六ペンスに、世界が目の前に立ち上がってくるのを感じた。

でも、フロスト警部と<チャールズ・ストリックランド>ならにやにやしてこう言うでしょうね。

  「もっと読め、馬鹿者」

apple今回記事で紹介した本はこちらですapple

日の名残り (ハヤカワepi文庫) 日の名残り (ハヤカワepi文庫)

イギリス人の患者(新潮文庫)

フロスト気質 上 (創元推理文庫 M ウ) フロスト気質 上 (創元推理文庫 M ウ)

クリスマスのフロスト (創元推理文庫) クリスマスのフロスト (創元推理文庫)   

            

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コメント

お久しぶりでございます。

「ひきこもり作戦」決行中なので、コメントなどはしない、と心に強く決めていたのですが…。

モーム、フロスト、という名前を見たら…。
自分は洋書はモームから入り、ミステリーに目覚めたのはフロスト警部のおかげ。

翻訳者で読む本を決める、というのもいいですよね。
好きな翻訳者が訳した作品なら、なんかこう、安心して読めますし。

それに、翻訳されたものを読むのは、原書をきちんと読む手助けになると、最近、思い始めました。

それはともかく、大和の国へ、ようこそ。
おつとめ、ご苦労様でした。

まさんたさん、お久しぶりです。モームは今回初だったのですが、他の作品もチャレンジしたいなあと思いました。とにかく、書き留めたい言葉や文章がどんどん出てきて、この作家の観察眼というか、人生観というか、ひねりがきいていて良いなあと思いました。フロスト警部もほんとに面白いですよね!特に会話の部分を読んでいると、日本語の豊かさに嬉しくなってしまいます。英語で読むよりもフロスト警部が、目の前に鮮やかに現れてくれますhappy01「ひきこもり作戦」など中止して、ぜひぜひまた遊びにきてくださいね。今後ともよろしくお願いいたします。

 はじめまして。michiさんのブログから来させていただきました。先日から何度も読ませていただき、楽しませていただいています。カズオ・イシグロは大好きな作家です。モームは私は昔中野好夫訳で読み今も持っています。nikoさんの記事を読んで土屋訳も読みたくなりました。それから本屋さんで気になっていた北村薫の創作表現講座もnikoさんの記事でやっぱり買おう!と決心がつきました。今後もいろいろと面白い本をご紹介くださいね。どうぞよろしくお願いします。

 追伸です。PCオンチでよくわからないのですが、はてなダイアリーにはアンテナというのがあり、拙ブログに「アンテナ」で「本を手に」を登録させていただいてしまいました。ご迷惑なら削除します。

点子さん、はじめまして。私のブログに遊びに来てくださってありがとうございます!しかも、アンテナに登録していただいて、ありがとうございます。私は天邪鬼なのか、本屋に平積みされている本には、なかなか手が伸びず、ちょっとずれている本を紹介しているかもしれないのですが、自分が良いなあと思う本に同じように感じてくれる方がいて、すごく嬉しいですhappy01点子さん(点子ちゃんとアントンから来てるのかなあ。素敵な名前ですね)のブログにもこれからお伺いさせていただきますね。点子さん、今後ともよろしくお願いいたします。

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