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心にナイフをしのばせて

心にナイフをしのばせて Book 心にナイフをしのばせて

著者:奥野 修司
販売元:文藝春秋
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1969年、当時高校一年生だった、加賀美 洋君が殺害された。犯人は一緒にいた中学時代からの友人、少年Aだった。少年Aは当時15歳。これは、少年犯罪の被害者家族の事件後の心の傷を中心に描いたノンフィクションである。

死んでいることはすぐにわかった、と第一発見者の教師は言う。

「何人かの先生と手分けをして捜していたら、私の先に加賀美君の死体があったんです。蠅とかウジのようなものがたかっていてワイシャツは真っ赤でした。何よりも首が胴体からおよそ十数センチほど離れて、つつじ畑のあぜ道に転がっていました。すさまじい光景でしばらく私は、寝ることができないほどうなされました」

警察が発表した解剖所見によれば、胸部十二ヵ所、背中七ヵ所、頭部十二ヵ所、顔面十六ヵ所の計四十七ヵ所をめった刺しにされていたという。

少年Aはなぜ殺したのか。その理由も明確に分からないまま、法で守られたAの消息も分からないまま、加賀美くんの家族はその後の地獄のような年月を送ってゆく。

加賀美くんの妹、みゆきさんは事件後の家族をこう振り返っている。

「あの事件から一、二年、母はずっと寝込んでいたんです。それも毎日睡眠薬を飲んでいたから、一日二十四時間、ほとんど横になって眠りっぱなしだから、母はあの日のことを覚えているはずがないんです」

事実、母親のくに子さんは、加賀美くんが殺された後の数年間の記憶がすっぽりと抜け落ちているという。

母はあの事件から急激に痩せ、髪の毛は真っ白だった。

強いショックを与えると、一晩で真っ白になるというが、母は本当に一日で真っ白になった。

さらに母親は強いショックを受けると、意識を失って倒れるようになったという。

倒れてしばらくすると母はむくむくと起きあがり、いまだかつて聞いたことのない汚い言葉で罵りはじめるのだ。

みゆきさんは、母親が突然発狂したみたいになるのが、恥ずかしく悲しく、泣き叫びたい気持ちになったという。一方、父親は自らの意志で、クリスチャンになる。家族はみな、クリスチャンだったが、加賀美くんが亡くなるまで父親は決して洗礼を受けなかったという。みゆきさんによると、父親は、殺されたとき加賀美くんの腕にあった血だらけの腕時計を、教会にいくときも、洗礼を受けるときも、肌身離さずはめていた。聖書も加賀美くんのものを使っていた。

みゆきさんは、両親のお気に入りだったお兄さんが亡くなったことで罪悪感を抱くようになる。

兄のかわりにわたしが死んでいれば、親もこんなに悲しまなかったのに……。同じ死ぬなら期待されていたお兄ちゃんじゃなくて、わたしだったらよかったのに……

そして、みゆきさんは、一時的に苦しみを消し、現実を忘れるためにリストカットに手を染めることになる。一家は、加賀美くんが亡くなったあと、一度も加賀美くんの話に触れなかった。テレビとラジオはその後数年間にわたって、白いシーツをかけ電源を入れることはなかった。

少年Aは、事件当時、加賀美くんに中学時代からいたずらをされたり、からかわれたりして見下されていたと感じていたと証言している。しかし、学校の同級生たちは、普段は仲が良く、じゃれあっているような感じだった、と述べている。作者は、

加賀美くんがふざけているつもりでも、少年Aが「いじめられている」と受け取ることがある。

と記しており、そのことには私も同感である。加賀美くんと仲の良かったグループの一人、佐々木さんはこう言っている。

五人でいると、どう考えてもやられるのはあいつなのに、あいつは自分から遊ぼうぜと言ってくる。――(略)―― いつもおれたちにやられながら、どうしておれたちに近づいてきたんだろう。

佐々木さんは、今でも、加賀美くんは自分たちの身代わりになったんじゃないかという気持ちを引きずっているという。

少年Aが、友人関係を超えた、もっと複雑な根の深い闇を抱えていることが見えてくる。作者は、少年Aの複雑な家庭事情などを要因の一つとして記している。しかし、作者も述べている通り、少年犯罪は「前歴」とはなっても「前科」とはならない。当時は、少年院の収容期間が最長でも三年未満だったという。(現在は最長五年に伸びたそうです)そんな短い期間で、過去を知られず、少年たちは社会に出るのだ。だから、作者の少年Aについて深くつっこんだ取材は難しかった。

この本を手に取った方は、どうか最後まで読み通していただきたい。被害者家族の生き地獄のような日々については、胸が痛むなどという次元ではないことが分かる。最後の、作者がつきとめた少年Aと加賀美くんの母親の会話には、しばらく身動きがとれなくなるだろう。殺人者は確かに私たちとはかけ離れたとても恐ろしい人間なのかもしれない。だから私たち一般市民が、あまりにも広がった闇からは、距離をとり顔をそむけるのも仕方がないのかもしれない。けれど恐ろしいものにふたをしても、ふたの中からそれが消えるわけではない。逃げても逃げても、むしろ逃げるほど、それはふつふつと膨れ上がってゆく。少年院という場所で、何ができるのか。どうしたら良いのか。あきらめや無関心を超えて、人は人と関わらなくては駄目だ。自分を守ることは、逃げることではない。

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第七官界彷徨

尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫) Book 尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫)

著者:尾崎 翠
販売元:筑摩書房
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尾崎翠。『第七官界彷徨』という世にも不思議な物語を描いた作家の名前である。1934年、38歳を最後に筆を絶ち、その後の人生をふるさとの鳥取県でひっそりと終えた。

そのとき二助の部屋からながれてくる淡いこやしの臭いは、ピアノの哀しさをひとしお哀しくした。そして音楽と臭気とは私に思わせた。第七官というのは、二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感ではないか。そして私は哀感をこめた詩を書いたのである。

体が数グラム重たくなる気がする。心臓がぎゅうんと膨らむ感じがする。とらえどころのない音色が響く言の葉の五線譜を前に、私はしばらく茫然とした。

その後、尾崎翠は頭痛薬の大量摂取のために、中毒に陥り、鳥取に連れ戻されることになる。一時は自分が小説を書いていたことさえ忘れていたという。結婚はしなかった。後に、文学集に『第七官界彷徨』が加えられたことを機に、出演や執筆の依頼が再び来るようになっても、すべて固辞して人に会わなかったという。

色はどうにもあれ、私たちの女主人は、一種の粉薬の常用者であった。これは争う余地もない事実であった。けれどその利き目について、私たちは確かな報道をすることが出来ないようである。私たちのものがたりの女主人が、身のまわりの騒々しい思想のために、つんぼにされているかも知れないことは前にも述べたけれど、彼女は、このつんぼの憂愁から自身を救いだすために、このような粉薬を用いはじめたともいうし、よけいつんぼになるために用い続けているともいう。『こおろぎ嬢』より

双樹社から出版された『尾崎翠全集』の編者である稲垣真実さんによると、74歳で高血圧と老衰による全身不随で病院に運ばれたとき、尾崎翠は「このまま死ぬのならむごいものだねえ」と大粒の涙をポロポロと流したという。三日三晩の昏睡のあと、彼女は息をひきとった。

尾崎翠の人生が不幸せだったかどうかなんて、私には判断できない。目の前に漂う『第七官界彷徨』が、あまりにも胸にせまるからである。

 私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう。

そもそも、と私は本を閉じながら思う。

そもそも、第七官にひびく音を一つも出せずに右往左往している私に、他人の人生をとやかく言う資格などないのである。

(*画像が貼り付けられませんでしたが、私は創樹社の『第七官界彷徨』を読みました。これは、若い読者のために読みやすさを考えて、仮名遣いを新仮名遣いに改めたものだそうです。装釘も不思議でお勧め。)

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東京セブンローズ

久しぶりの日本、久しぶりのお風呂、そしてなんといっても久しぶりの日本語の本! 雨水をぐいぐい吸い込む大地のように、日本の言葉がどんどん私の心と体に染み渡ってゆきます。ハッピーheart04でございます。

東京セブンローズ〈上〉 (文春文庫) Book 東京セブンローズ〈上〉 (文春文庫)

著者:井上 ひさし
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東京セブンローズ〈下〉 (文春文庫) 東京セブンローズ〈下〉 (文春文庫)

著者:井上 ひさし
販売元:文藝春秋
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井上ひさしさんは、現在活躍されている作家のなかで、私が大変興味を持っている作家の一人です。子供のころに「ブンとフン」や「偽原始人」を読んでから、全てというわけにはいきませんが、思い出したように、途切れることなく井上さんの作品を読み続けています。素晴らしい小説を書くことは、誰にでもできることではないけれど、質の良い小説を書き続けることは、なお誰にでもできることではないと、私は思っています。

物語は、山中 信介さんという、団扇屋の主人の日記という形で綴られています。

「をぢさんで五人目だよ。このレコードに引っ掛かったのは」

昭一くんの顔が引っ込み、そして直ぐB29の編隊爆音が止んだ。

「ニッチクから『B29の爆音』といふレコードが發賣になったんだ」

昭一君が説明書を振ってみせ、

「ほら、ここに『決死的録音遂に完成す』と書いてある。といっても見えないか」

「この非常時につまらんレコードを出したものだ。それに買ふやつも買ふやつだ」

これは戦争の話なのです。山中 信介さんは、東京で空襲が激しくなるなか、毎日食べていくために、奥さんと三人の娘と一人の息子と共に懸命に生きていきます。井上さんは、おいおい、とつっこみたくなるようなユーモアをおりまぜながら、悲惨なはずの信介さんの生活を綴ってゆきます。

やがて、激しくなった空襲は長女の命を奪い、近所の多くの人々の命を奪ってゆきます。やりきれない思いの信介さんが思わず発した一言。町内会長に密告され、信介さんは思想犯として刑務所に入れられてしまいます。信介さんは刑務所で終戦を迎え、くるりと裏返った世の中に放り出されるのです。

だからその下手人どもの親玉を「吾等の偉大な解放者」などといって奉るのは眞っ平である。ものを頼むなぞ殺されたっていやである。日本人はもっと堂々としてゐるのがいいのだ。勿論、自分と同じ考への人びとが、日本軍が踏み荒らした朝鮮半島や中国大陸や東南アジアの島々に何億人とゐることも知ってゐる。日本人はそれらの人びとから常に怨みの眼差しを注がれながら生きて行かねばならない。だれかが「日本人が憎い。せめて五六發殴らせろ」といふなら、自分たちは一言も抗辯せずに殴られてゐなければならない。そのときも日本人は堂々としていたいものだ。

しかし、信介さんが刑務所に入っている間に、世の中は確実に変わってしまったのです。

「だからとうさんたちは駄目なんだ」

口まで持って行ってゐたカップを、清は叩きつけるように置いた。受け皿にココアがこぼれ出る。

「天皇が神ぢゃないとわかってゐたのなら、はっきりさういへばいいんだ。日本が神国ぢゃないと信じてゐたなら、堂々とさういへばいいんだ。とうさんたちは信じてもゐないのに、いかにも信じてゐるような振りをした。自分に嘘をついたんだ。自分に不誠実に生きてゐたんだ。そんなのごまかしだよ。詐欺よりひどいぢゃないか」

井上さんは、ユーモアのなかに、こちらの鼓動が一瞬止まるような鋭い言葉を織り交ぜて、この物語のメインテーマへと読者を導いてゆきます。

「その通り。日本語から漢字を追放すべきです」

アメリカの日本語から漢字を追放するという政策に、信介さんが巻き込まれてゆくことになります。

「日本人のためなんです。戦前戦中の日本では、初等教育のほとんどの時間が漢字の習得に注ぎ込まれてゐました。ローマ字化することによってこの時間はずいぶん浮くと思ひます。浮いた時間はほかの分野の学習に充てることができる。民主主義の勉強ができる」

みなさんは、アメリカ人からこう言われてどう反論するでしょうか。

信介さんは、どう反論したのでしょうか。そして題名にもなっている、東京セブンローズの影が信介さんの周りにちらつきはじめます。

私は、漢字とひらがなとカタカナを使う、美しい言葉を持つ国に生まれました。私は、戦争のない、和を尊ぶ、自然が四季と共に彩りを変え、暮らしと歴史の深みを味わえる国に生まれました。そのことがどんなに幸せなことか、信介さんと東京セブンローズが教えてくれます。

信介さんは、長女の絹子さんを空襲でなくした後、絹子さんに向けて日記にこのように書いています。

父さんたちは生きてゐるやうに見えるかもしれませんが、本土決戦の秋まで仮に生かされてゐるに過ぎないのです。をかしな言ひ方ですが、父さんたちは半亡者なのです。いま、お前がいる場所とこの根津とは案外近いのです。幽明界を異にするとよくいひますが、そちら幽界とこちら明界とは、實は一枚板のやうに続いてゐるのです。さうでもなければ、毎日、このやうに大勢の人間が死ぬ道理はありません。

日本人だからこそ、戦争はいやだと、言わなければなりません。反対なものは反対だと言わなくてはいけません。それが、この国に生かされた私たちの恩返しなのだと思うのです。

(*引用部分では、一部旧仮名遣いの文字が変換できず、そのまま掲載できないものがありました。実際の作品では、旧仮名遣いの日本語の美と力を痛感できることと思います。ぜひ本作品をお読みください)

さて、長い間お休みしていましたが、またブログを始めさせていただきたいと思っています。これからは洋書だけでなく、和書もどんどん紹介していけたらなあと考えています。

マイペースな私のブログ、今後ともどうかよろしくお願いいたしますshine

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