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全然悪くない

本当に落ち込んだり、元気がないとき、笑顔を見せたり、がんばるよ。と答えられないときがあります。

心にまったく余裕がないとき、私は心のドアを閉じてしまうところがあるのかもしれません。実際にはドアは開いているように見せかけていることもあるけれど。ドアにチェーンをかけたまま、半開きの向こうへとむしろ明るく声をかけることもあるけれど。

でもやっぱり、ドアは開けるためにあるのだと気がつきます。 ドアは向こう側に出かけるためにあるのだと思うのです。

気持ちが下を向いて歩いていると、すれ違った子供がにこっと笑いかけてくれます。

沈んだもやもやの中から開いたパソコンの画面に、偶然の贈り物のような言葉が浮かび上がってきます。

落ち込んで、くやしまぎれに作ったパンが奇跡みたいにふんわりと焼き上がります。

涙が落ちないように見上げた空に、飛行機雲がぐんぐんと竜のように伸びあがっています。

地団駄を踏もうとして、ふと道端で見つけた十字架の形の真っ白い花、

愚痴をこぼそうと思った瞬間に、耳に入る小鳥のさえずり、

ため息をついたとたんに、若葉をゆらす風の音色、

そして、ばったり出会った友達の優しい優しい声。

うまくいかないことも多いけれど、こういう日々も悪くない。

迷ったり、悩んだりするのも悪くない。

生きているのって全然悪くない。

何だか説明のつかない何かに助けてもらって、私は今日もふらふら、あたふたしながら、どこまでも続く道を歩いていますhappy01

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"Fear Is Attraction."

最近、自分がほんの少し滞っているのを感じます。周りの人にそう告げても、きっと首をかしげるだろうなあ。

pout「贅沢だよ!」 「暇すぎんじゃないの」 「そんなの全然ましだよ、私なんてさ…」 「もっと日々のことに感謝しなくちゃ」 「あのね、恵まれてるんだから、そういうこと言うもんじゃないよ」

―― おっしゃるとおりですbearing

見た目には分からないであろう、小さな変化が私の人生を少しずつ押し上げていってくれているような、いやいや、その変化というチャンスを逃して無駄にしてしまっているような…。

だいたい、他人のことや外の出来事について感じたり、考えたりするのは厭わないくせして、いざ自分に向き合うとなると、どこ見ていいのか分からないわ、なに話したらいいか戸惑うわで、思春期の中学生並みのシャイぶりを発揮。そんな「自分」と分かり合いたいと思っていたら、こんな言葉に出会いました。

”Fear is Attraction.”

私たちは、本当に本当は「恐れているものに、惹かれている」んだそうです。今、死んでしまったらどうしよう、と恐れるのと同時に、心の深いところでは死ぬことに惹かれているということです。

今大切なひとに何かあったら、お金がなくなったら、恋人や友達に嫌われたら、この仕事を失敗してしまったら、両親の期待に応えられなかったら、と恐れるということは、そういうハプニングが起きることに、心が惹かれているということでもあるのだそうです。

これはなぜか腑に落ちる言葉でした。苦手なことや心配なこと、嫌なことや辛いことをもう一度吟味してみたら、自分が無意識に惹かれている、興味がある、望んでいる、そこまで行かなくても気になるものだったりするのかもしれません。でも、どうしてsign02 原因は一体なんだろう? 

心のなかで起きているいろいろを、ひっくり返して見てみると、全然違う価値観が見えてくるかもなあと思いました。足元ばっかり見て歩いて、色んな方向から自分を眺めることができず、気がついたら行く先が分からなくなっていた私には、ちょうど良い機会なのかもしれません。

といっても、毎日もんもんと眉をひそめて考え込んでいるわけではありません! 友達から教えてもらってパンを焼いたりして、ふわふわとポカポカの春cherryblossomを過ごしておりますよ! 

少しずつ「自分」と会話する時間を増やして、そしていつの日か「恐れ」から手を放して、もっとゆったりと流れに身をまかせて生きて行けたらいいなあと思いますconfident

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振り回されてみたり、みなかったり。

自分の好きなことをとことんやる。情熱を感じることをきちんとやる。だから私は本を読もう。アメリカに来たからには、洋書を読もう。

これが私の最近の誓いであった。好きなことをきちんとやるってけっこう難しい。今までだって、何度も失敗してきた。まず最初は、好きなことや楽しいことに人生のたくさんの時間をさくことに、ちょっと罪悪感があった。学校や会社に行って忙しかったり、しんどい思いをしたりするほうが、うんと偉いことなのだという、訳の分からない価値観を抱えていたのだ。そして何度もふらふらしてきた。そんなに好きでもないのにふりをしてみたり、周りの人に流されて自分の心が見えなくなったりしてきたから、好きなことを肩の力をぬいて楽しむというその芯には、きっと強いこだわりみたいなものも含まれていたに違いないのだ。

他人から何といわれても、形になる何かを得ることができなくても、気にせずに自分の感情を信じて、好きなことをコツコツやっていこう。

と思っていたのだけれど…。

最近、色んな出来事や、周りの友達にひっぱられることが多いのです。そうやって、外からのものや人に振り回されて、読書以外の時間を持つことが多くなっています。前回の洋書を読んだ後、エネルギーを使い果たした感じがあったので、自分でも少し心がよそを向きたがっていたのかもしれません。出来るだけこだわりを捨てて、「振り回されて」みました。どうしても気が重たくなってしまう物事以外は、身を任せてぶるんぶるん振り回されてみることにしました。そしたら、自分は意外にもこんなことも好きだったのか、という新しい発見があったりして、悪くないなあと思っている今日この頃です。

そういえば、反対に「振り回されてみない」ために、面白いことを試したことがありました。ちょうど夫が研修旅行で出かけて一人で暮らしている間に、テレビとインターネットを見るのを止めてみたことがあります。ちょっと頭も心も飽和状態な感じがしたし、だらだらと中毒気味にテレビやパソコンの画面の前から動かない毎日だったので、少しの間離れてみようかなあ、と何となく思ったのを覚えています。

でもね、これはツラカッタ…。

それだけ依存しているってことだとは思いますが、4,5日でパソコンの電源をつけてしまったような記憶があります。もう自分の頭で考えられる大人だから、と思ってもこれだけ情報が飛び交う時代、きっと気がつかないうちに何かに振り回されているような気がします。いつも旅先ではテレビもインターネットも見ないのですが、家ではこれが難しかったです。また試してみようかな。

学校に行って、卒業したら就職して、会社に行って、結婚して、何だか分からないがアメリカで専業主婦をやっている私。

けれどこんな字面では現れない「幸せ」を心につくっていきたいと思っています。自分が幸せかどうかは、他人や世の中が決めてくれるものじゃなくて、自分がそれを生み出していけるかどうかにかかっていると思うからです。

振り回されてみたり、みなかったり。

そんなことを繰り返して、また私は本を手にゆっくり歩きはじめようと思うのです。

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