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あの日

あの日、どこで何をしていたか、皆さんは覚えているだろうか。

私は家でテレビを見ていた。効果音にすぎない笑い声でにごるテレビの画面にニュース速報の白い文字が流れ、しばらくして全チャンネルがニュース番組に変わった。

急いで夫に電話をした。NYにいる夫は無事だった。

その後はテレビの前で、観光名所でもあるあのビルが崩れてゆくのを茫然として見ていたのを覚えている。

飛行機が建物につっこむ様子が何回も流れる。何度見ても、私には信じられなかった。

二週間後に暮らすことになる街が画面の向こうで大変なことになっている。

けれどテレビに映る悲惨な事件は、

あまりにも遠く

あまりにもとっぴょうしもなく

あまりにも絶望的で

あまりにも、あまりにもまるで映画なのだ。

お茶をすすりながら見ていたテレビの中の街へ、私は二週間後に降り立つことになる。

NYは予想以上に普通だった。人々はおおぜい出歩き、グランド・セントラルから列車に乗り、ロックフェラー近くのレストランで話し込み、夜のブロードウェイで騒いでいた。

晴れた昼下がり、私はアパート近くのスーパーに買い物に出かける。通り道の消防署にたくさんの花が供えられている。ここの消防士たちの多くが、救助のために建物のなかに入り、亡くなった。笑顔の写真の横にメッセージのボードが置かれている。恋人から、妻から、子供から。私は信号を待つ間、それらを一つ一つゆっくり読んでいく。彼らの写真を、順に眺めながら。信号が変わると、私は少し顔を上げて、早足でスーパーへ向かう。

私が「9.11」を実感できたのは、少なくとも実感できたと思えたのは、たぶんこの消防署だったように思う。あの年、あの時期にNYで暮らしたことは、偶然にすぎないのだけれど、確かに忘れられない何かを私のなかに残していった。

「あの日」は9/11であっても、なくてもいい。

ビルに閉じ込められた人たちを救うために亡くなった消防士はあなたの父親かもしれない。

つっこんだ飛行機に乗って命をおとしたのは、あなたの母親かもしれない。

同時に、

地下鉄にばらまかれた毒の液体のせいで、死んでいったのはあなたのお兄さんかもしれないし、

仲間はずれにされて逃げる場所もなくて、飛び降りたのはあなたの妹かもしれないし、

軍隊の攻撃に巻き込まれて、殺されたのはあなたの子供かもしれない。

そして、その銃の引き金をひくことになるのは、あなた自身かもしれないのだ。

_____

と、書いてから気がつきましたが、日本はもう9/12なんですよねー。なんだか、間抜けなタイミングになっちゃいましたがヾ(´▽`*;)ゝ" 、目を通していただいてありがとうございました!

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コメント

私たちは偶然の積み重ねの中で生きているのですね。
今日こうして無事に生きていられるのも偶然、何かの事故やテロに巻き込まれて死んだ人達も偶然。

偶然の中でしか生きられないとしたら、その人生をどう充実させるかと、考えさせられます。
そして偶然がこうして私を無事に生きさせてくれていると思うと、その事に感謝をし、謙虚に生きなければと思うのですが。。。そうでない自分をいつも発見・・・トホホ

どの人にとっても6年前の出来事は忘れられないものですが、ご主人がNYにいらっしゃって、さらに2週間後にその地にご自身がいくことになっていたnikoさんにとって、多くのことを考えさせられる出来事であったと思います。

私自身は、ちょうど12日に日本を離れ、当時婚約者だった夫のいるアイルランドにいくことになっており、前日の夜のニュースで、世界貿易センターに飛行機が突っ込んでいく映像を見ました。翌日の成田空港の混乱した様子が印象に残っています(アメリカ行きの飛行機はすべて欠航になっていました)。


それまではテロなんて自分には関係ないことに思っていました。今でも、「まさか自分には」と思っているところがありますが、9.11以前にはなかったうっすらとした恐怖はつねに付きまとっていますね。

あの日から、テロにおびえることを覚えたように思います。6年たっても、テロはなくなるどころか、この6年で地球は本当にかつてないほど危ない場所になってしまった気がします。

リウマチばあちゃんさん
本当に「偶然」無事に生かされているのなら、そのことに感謝しなくてはいけないのかもしれませんね。
けれども私もついそのことを忘れて、文句ばかり言ってしまうときがあります(*^^*)。
そして、また「偶然」に悲惨な出来事に遭遇する可能性もないわけではなくて、日本や世界で起こる色々なことの当事者が自分であってもおかしくはない…そういう風にみんなが自分にひきよせて考えられるようになったらなあ、と思います。と言っているそばから、自分もついそんなこと忘れて暮らしていますけれど…ヾ(´▽`*;)ゝ" 。

michiさん
michiさんはテロの翌日に、アイルランドに向かわれたんですね。私も二週間後に成田空港から飛行機に乗りましたが、今では想像もできないくらいガラガラでした。

>この6年で地球は本当にかつてないほど危ない場所になってしまった気がします。
本当にそうですね。「テロ」だけでなく、暴力そのものが、手を代え品を代え、ますます複雑で根深くなってきたような気がします。せめて問題を政治的な理由で複雑にしないで、シンプルに考えたり感じられたりできる世界になるといいなあ、と超理想主義かもしれませんが、そう思います。(*^^*)

もう6年も経ったのですね、あの日から。
朝起きぬけにテレビのリアルな映像を見てもとても現実のこととは信じられませんでした。
私はテロの4ヶ月前だったのですがソーホーにスタジオを持つ石岡暎子さんを訪ねる主人について行き、あのビルに程近いあたりを通りました・・・
あの日は午前中は何も手につかず思考が停止したように画面を見続けていたように思います。
そして昨年ジェフりー・アーチャーの本を読み当日の現場の様子を僅かでも知ることができ、偶然が、ほんの一瞬が人の運不運をわけるのを見、また勇敢な(そんな一言ではとも!)消防士の方達にほんとに頭がさがる思い(そんな一言ではとても!)がしました。
天災でもなく、人が、緻密な計画のもとに、起した、そして動機、

この日のことも誰もが忘れてはいけない日なんですね、私のようにただ覚えているだけしか出来なくても。そしてもしあの日あの時あの場所にいたら・・主人が・・子が・・・・

あの日を思出だすことができ今日もまたnikoさんに感謝です。

さくらさん
さくらさんは、ちょうどテロの起こる4ヶ月前に、現場付近に行かれたのですね。
今回この記事を書いて、さくらさんをはじめとするそれぞれの方にそれぞれのあの日があったことを知り、人間の運命って本当に不思議なものだなあと改めて思いました。
9.11を扱った小説は、たくさん出ているようですね。私もいつかは読みたい、というより読まねばならない題材だと思っています。
>そしてもしあの日あの時あの場所にいたら・・主人が・・子が・・・・

私も今生きている幸運を感謝しなくてはいけないなあと思いました。さくらさん、ありがとうございました。

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