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神さまのいるところ

この夏はたくさんの教会を訪れました。ヨーロッパの国々には、どこにでもたいてい観光スポットの一つとして教会、寺院、大聖堂、と呼ばれる建物があります。

それほど人々と教会の結びつきが強かったということなのでしょうか。最初に訪れたということもあるのだと思いますが、特にイギリス、カンタベリー大聖堂にはとても感動したのを覚えています。

観光客があまりたくさんいなかったので、少し薄暗い教会のなかは静かで、ひんやりしていて、細かいデザインのほどこされたステンドグラスを光がやんわりと照らし出していました。アーチをつくる柱がどこまでも続く身廊を歩きながら、ここに神さまが降りてきてもおかしくはない、と思いました。

いったいこの建物をつくりあげた人たちはどんな心で、柱をたて、ステンドグラスをはめこんだのでしょうか。どんな政治的な理由がからんでいたとしても、どれだけ血が流されたとしても、こういう美しいものを実際につくっていた人たちは、ただひとすじに神さまを思いながら築き上げていったのだと信じたいと思いました。

そしてここに祈りに来た人々のなかにも、きっと真に建物の美しさに震えて、神さまを感じとった人たちがいたと信じたいとも思いました。

神さまは太陽や月や川や森にいると思っていたけれど、本当は神さまがいるところは人の心の中なのかもしれません。

神さまを思って教会をつくりあげた人たちと、そこを訪れて感動した人たち、その心にこそ神さまはいるのだと思いました。

カンタベリー大聖堂に感動した私、けれど「ロンドン・アイ」のほうがよっぽど良いと思う人だっているでしょう。

感動しないことがあってはじめて、何かに感動するということがうまれるんですよね。

そうやって私たちは一つ一つ選び取りながら、自分という人間をよりはっきりとかたちづくっていくのだなあと思いました。

悲しいことがないと、喜びが分からないし

つらいことがないと、幸福が分からないし

闇がなければ、 光は輝くことができないわけです。

そういう意味では世界中の人たちがみな教えあい、助け合っていて、全ての人の心に神さまっているかもしれませんね。

私たちがイギリスに訪れたころは、ちょうどテロ未遂事件に揺れている最中でした。

―― もし、目の前に車がつっこんできたら…? 自分の大事な人たちが命を奪われたら…? 自分や家族を傷つける人たちの心の一部にも、神さまがいるのだとはっきり言えるでしょうか。だいたい自分はどうなのでしょう。その人たちに仕返しして、痛めつけてやりたいと考えるのではないでしょうか。そんな自分の心の一部にも神さまがいるのだとそれでも言えるのでしょうか。きれいごとを並べても何も変わらない。

そんな声が聞こえてきました。

どちらが本当なのかも分からないし、そもそもはっきりした答えがあるのかも私には分かりません。

今の私がなんとか分かること。

それは、どんな心もちで生きるのかは自分が選ぶということです。

そして何度でも選びなおせるということです。

そこには遅すぎることもなければ、早すぎることもないということです。

Cimg2888  カンタベリー大聖堂内1

Cimg2890 ステンドグラス1

Cimg2894 ステンドグラス2

Cimg2893_2 カンタベリー大聖堂内2

―― さて。

これでこの夏のことを書くのはひとまず終わりにしたいと思います。実際はまったく旅行記とはほど遠い内容が続いてしまいましたが、私らしいということでどうかおゆるしを。

写真入りでこと細かく旅で体験したこと、感じたことを書けたらどんなに良いでしょう! もし、この夏のことを咀嚼できて実になって自分の言葉で表せるようになったら(そんな日がいつか来ると願って)、そのときは「遅れた旅行記」をみなさんにお届けしたいと思っております。

そろそろ本のページをめくる心の準備ができてまいりました!ヽ(^◇^*)/

またこのブログで皆さんと色々本のお話ができたらいいなあと思っています。

今後ともよろしくお願いいたしますヾ(´▽`*;)ゝ"

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コメント

カンタベリー大聖堂の写真、素敵ですね。ステンドグラスの見事なこと!大聖堂までいかなくても、こちらの古い教会はそれぞれに威厳に満ちていて、それを造った人々の信仰が表れているように感じますね。

「闇があるから、光が分かる」そうなのでしょうね。できれば光だけを見ていたいと思うし、ポジティブシンキングとか、自己啓発などは、光に焦点をあてた考え方かもしれませんが、本当は光を感じるためには闇を知らなくてはいけないのかもしれませんね。

「どんな心持ちで生きるかは、自分が選ぶこと」最近、あることで腐り気味だった私に、「目を覚ませ!」といわれたような気分です。

michiさん
イギリスをはじめとして、ヨーロッパには本当にたくさん教会がありますね。歴史を感じさせる古い教会が、何気なく街に溶け込んで建っているのも印象的でした。
ポジティブシンキング、私にはなかなか難しいのです。例えば旅行中に夫とささいなことで喧嘩して、それなのにニコニコ笑って観光はできなかったし…。自分が落ち込んでいたり、腹が立っているのに、幸せで楽しいふりはできないですものね。最後まで自分が選ぶとき自分だけは自分の本当の意味での味方でいたいと思っています。えらそうなことを言っているようで恥ずかしいのですが、現実はなかなかうまくいかないことも多いけれど、まるごと受け入れると、時々晴れやかで優しい気持ちに変われるときがあります…。

おお・・・
復活されたのですね。なぜか、かなりびっくりしました。
びっくりしたのはさておき、教会、いいですよね。自分はキリスト教徒ではありませんが、異教徒?の自分でさえ、何かに飲み込まれた気持ちになります(教会に足を踏み入れた経験はほとんどないんですが)。
それはたぶん、教会を建てた人、お祈りを捧げた大勢の…何かが宿っているからでしょう。言葉にはできない何か、が。神社やお寺でも感じることなんですが。
欧米の方々の信仰心は日本人には(少なくても自分には)理解できないものがありますね。近寄りがたい雰囲気の外国人さんでも根本的なところで信仰心を持っていたり。自分は何教徒なのかわかりませんが、「神様お願いします」と祈って、仮に願いが叶っても、神様にお礼を言わずじまいなことが多かったり…。
というか、自分もエコ18号のせいもあってブログを三週間ほど休んでいましたが、niko さんのブログ復活にびっくりしました…最近、なにかとびっくりしすぎな自分ですけど…今日はセミが顔にぶつかってきてかなりびっくりしました…。変なコメントになってしまいましたが…。

まさんたさん
お久しぶりです!そんなにびっくりされちゃいましたか!?そうです、ブログを再開させていただきます(*^^*)。
教会、たくさん見てきました。熱心な信徒さんたちがお祈りしている姿も何度か見ましたが、私が「宝くじが当たりますように」とお祈りするのとは次元が違うことはまちがいないように思います…。
ところで、セミが顔にぶつかったんですか!かなりびっくりされたでしょうし、何よりも痛かったのでは…?
まさんたさんのブログの更新もまた楽しみにしていますね。今後ともよろしくお願いいたします!

nikoさん、
この夏休み、カンタベリーにいらしたんですね。私たちの家の近くなんです! あの、ルピナスの咲く田舎の道を、ご主人と歩いていらしゃるnikoさんをなんとなく想像してしまいます。
昨日アル・ゴアの不都合な真実のDVDを息子と見ていて、私もちょうど、人と地球と、神様についていろいろ考えさせられたところです。地球が、宇宙のちりほどささやかな存在だ、という映像がとりわけ印象的でした。私自身も、この地球にほんの一瞬だけ住ませてもらっているのだな・・・って。
またnikoさんの記事が読めてうれしいです。次はどんな本を読まれるのかな、って楽しみです。これからもまた、よろしくお願いしますね。
ジョージアはまだ暑いのですか? 
イギリスはそろそろ朝夕に暖房が欲しい季節になりました。

Dillさん
カンタベリーはDillさんのうちの近くだったんですね!美しい緑、花々に囲まれて生活しているからこそ、Dillさんの感性はいつも素晴らしいのだと、何だか納得してしまいました。「不都合な真実」私はまだ見たことがありませんが、先日ゴアさんがラジオで話しているのをたまたま聞いて、少し興味を持っていたところでした。
ジョージアはまだまだ昼間は暑いのですが、日が暮れるのが早くなってきていて、風が冷たくなったような気がします。Dillさん、今後ともよろしくお願いいたします。

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