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書を捨てよ、風を入れよう

八月の終わり、夏の終わり、夏休みの終わり、私の苦手な季節です。

だって何となく寂しいんだもの…(´-ω-`)

けれどここジョージアはいまだ40度近く、

冷房のきいた建物へと冷房のきいた車で移動、

感傷的な気分になる日本が恋しい今日この頃、

ぐうたら主婦の私が何をしているかといえば、夫いわく「ソファで置物みたいに動かない」状態で本を読んでおります。

amazonで注文した洋書が届くまでの間、しばらくぶりに日本語の本を(!)手にとっているところです。

というわけで今回は「読書」の話。それも日本語の。

ずばっと正直に恥ずかしいことを堂々と告白しちゃいますが

世に言う「文学」作品を(日本のものであれ、翻訳されたものであれ)私は圧倒的に読んでいません。

「国語」の教科書に出てきた作品も作家もとうてい読む気にならなかったし、

「文学史」とかいうテキストで名前だけ暗記させられた作品も作家も手にとる気になりませんでした。

思いもよらなかったというのが正解かもしれません。

教科書で読む小説も随筆も、テストに出るから線を引けとか、この指示語は何を指しているかとかにいそがしくて、「何を感じるか」ということとは全く無縁の場所にありました。

私の読書とは、自分だけの自由で楽しくて幸せな時間であり、勉強と結びつくものが入り込むなんて想像もできませんでした。「勉強は学校や塾でたくさん、本くらいは自分の好きなものを読もう」と思っていました。(というほど勉強していませんでしたが)

その結果どんな人間ができあがったかというと

だれも知らない小さな国(★1)で

動物語を話し(★2

メアリー・ポピンズが帰ってくるのを待ちわびる(★3

空想癖のある孤児で赤毛の女の子(★4

となり、

その成長は偏りを増し、さらに学術書や新書にほとんど手が伸びないまま、

檸檬(★5)より ばなな(★6

草の花(★7)より 秋の花(★8

国境の長いトンネルを抜けると、どうなるかより(★9

かえるくんが東京を救うかどうか(★10

が気になる人間になりました。

それが、何か違うなあと思い始めたのは何年前でしょうか。

世界の中心で、愛をさけべないし(★11

いま、会いにゆくことはできず(★12)、

野ブタ。をプロデュースする気力もわかないのです。(★13

食わず嫌いは度をこして、

蹴りたいのは背中なのに机の角に足をぶつけ(★14

エトもシヲンも遠い星となり、(☆15,16

このままでいくと

バッテリーを組む相手もいないから(★17

一瞬の風にもなれないと(★18

絶望的な気持ちになっています。

気がついたら、

本棚の蔵書は増えないし、埃をかぶったままの本ばかりという状態に。

そろそろ、私の大切な心の書庫を整理する時期なのかもしれません。

書庫の窓を開けて風を入れ、いらない本を思い切って処分し、また新しい本を棚に増やしていく時期なのかもしれません。

まったく違う読書をしたい。

最近その思いが強くなってきました。

学校で暗記させられたというだけで敬遠してきた作家たち。自分が興味がないという理由で避けてきた作品たち。考えてみれば、いとも簡単な理由で読みもせずに放棄してきたわけで、それってもったいないし、ただの怠惰だし、恥ずかしいくらいに傲慢だったのだと今更ながら思います。

もちろん本は楽しいのが一番、でももしかしたら頭を捻ってうんうん言いながら読む本もあるかもしれません。

読書は時間を忘れるほど熱中できるのが一番、けれどときにねばり強さを必要とする読書になるかもしれません。少しずつでも日本語の本は読んでいきたいと思っています。

といっても、今はジョージアに住んでいますので、引き続き和書より洋書を読むことに力を入れていきますよ!amazonから本が届くのが楽しみです♪

毎日暑くても、私だって読書の秋!(そして食欲の秋!)

チョコレートをつまみながら、濃いコーヒーを飲みながら、また本の世界に浸りたいと思いますヽ(*゜∀゜*)ノ

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神さまのいるところ

この夏はたくさんの教会を訪れました。ヨーロッパの国々には、どこにでもたいてい観光スポットの一つとして教会、寺院、大聖堂、と呼ばれる建物があります。

それほど人々と教会の結びつきが強かったということなのでしょうか。最初に訪れたということもあるのだと思いますが、特にイギリス、カンタベリー大聖堂にはとても感動したのを覚えています。

観光客があまりたくさんいなかったので、少し薄暗い教会のなかは静かで、ひんやりしていて、細かいデザインのほどこされたステンドグラスを光がやんわりと照らし出していました。アーチをつくる柱がどこまでも続く身廊を歩きながら、ここに神さまが降りてきてもおかしくはない、と思いました。

いったいこの建物をつくりあげた人たちはどんな心で、柱をたて、ステンドグラスをはめこんだのでしょうか。どんな政治的な理由がからんでいたとしても、どれだけ血が流されたとしても、こういう美しいものを実際につくっていた人たちは、ただひとすじに神さまを思いながら築き上げていったのだと信じたいと思いました。

そしてここに祈りに来た人々のなかにも、きっと真に建物の美しさに震えて、神さまを感じとった人たちがいたと信じたいとも思いました。

神さまは太陽や月や川や森にいると思っていたけれど、本当は神さまがいるところは人の心の中なのかもしれません。

神さまを思って教会をつくりあげた人たちと、そこを訪れて感動した人たち、その心にこそ神さまはいるのだと思いました。

カンタベリー大聖堂に感動した私、けれど「ロンドン・アイ」のほうがよっぽど良いと思う人だっているでしょう。

感動しないことがあってはじめて、何かに感動するということがうまれるんですよね。

そうやって私たちは一つ一つ選び取りながら、自分という人間をよりはっきりとかたちづくっていくのだなあと思いました。

悲しいことがないと、喜びが分からないし

つらいことがないと、幸福が分からないし

闇がなければ、 光は輝くことができないわけです。

そういう意味では世界中の人たちがみな教えあい、助け合っていて、全ての人の心に神さまっているかもしれませんね。

私たちがイギリスに訪れたころは、ちょうどテロ未遂事件に揺れている最中でした。

―― もし、目の前に車がつっこんできたら…? 自分の大事な人たちが命を奪われたら…? 自分や家族を傷つける人たちの心の一部にも、神さまがいるのだとはっきり言えるでしょうか。だいたい自分はどうなのでしょう。その人たちに仕返しして、痛めつけてやりたいと考えるのではないでしょうか。そんな自分の心の一部にも神さまがいるのだとそれでも言えるのでしょうか。きれいごとを並べても何も変わらない。

そんな声が聞こえてきました。

どちらが本当なのかも分からないし、そもそもはっきりした答えがあるのかも私には分かりません。

今の私がなんとか分かること。

それは、どんな心もちで生きるのかは自分が選ぶということです。

そして何度でも選びなおせるということです。

そこには遅すぎることもなければ、早すぎることもないということです。

Cimg2888  カンタベリー大聖堂内1

Cimg2890 ステンドグラス1

Cimg2894 ステンドグラス2

Cimg2893_2 カンタベリー大聖堂内2

―― さて。

これでこの夏のことを書くのはひとまず終わりにしたいと思います。実際はまったく旅行記とはほど遠い内容が続いてしまいましたが、私らしいということでどうかおゆるしを。

写真入りでこと細かく旅で体験したこと、感じたことを書けたらどんなに良いでしょう! もし、この夏のことを咀嚼できて実になって自分の言葉で表せるようになったら(そんな日がいつか来ると願って)、そのときは「遅れた旅行記」をみなさんにお届けしたいと思っております。

そろそろ本のページをめくる心の準備ができてまいりました!ヽ(^◇^*)/

またこのブログで皆さんと色々本のお話ができたらいいなあと思っています。

今後ともよろしくお願いいたしますヾ(´▽`*;)ゝ"

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その先のまた向う

どうしても気になって仕方がない。

目をそらしたいのに、すいよせられる。

目の前を通ると、わたし全部がそちらに向いてしまう。

だけど毎日会いたくはない。

自分の良い感情も悪い感情も一気にひきだされるようで

落ち着かないからだ。

見つづけたら、自分がもたない。

―― 何だか、やばい恋愛にはまっちゃった人のポエムみたいですが、そうではありません。

「絵画」のこと。私にとって、こういう表現がぴったりなのは、ゴッホの絵です。ゴッホ、家に飾ろうとは思わないんですが、訪れる美術館にゴッホの絵があると聞くと、絶対、必ず、会いにいきます。特に後期の作品を見ると、心がさわさわと波立って、自分が一回ひっくり返されたような、どろりとした黒い何かを表に引っ張りだされるような、そんな感じがします。

オーディオガイドによると、ゴッホは「写真より絵画のほうが、より真実をうつしだすことができる」というような言葉を残しているそうです。

これがどういう意味なのか、ゴッホの絵を見ていると分かるような気になってきます。(あくまでも私なりにですが)

「真実」はただ目にするものとは違っているのかもしれず、みなが同じ「真実」を抱えているわけはあるはずもなく、人間は結局一人なのだと思う反面、

何が「真実」なのかは、わたしたち一人一人の手にゆだねられているのだと、悲しいような妙にすっきりした気持ちになりました。

ウィーンでは「エゴン・シーレ」に出会いました。すばらしい感性の持ち主である友人が好きだと知って、わくわくしながら美術館に向かいました。

”時代にはその時代の芸術を、 芸術には芸術の自由を”

1897年、ウィーンに保守的な芸術から分離しようとする「分離派」と呼ばれる一つの芸術運動の流れが誕生しました。エゴン・シーレは、その流れの中心的役割を果たした「クリムト」に才能を見出されたといわれています。既存の芸術にとらわれず、自由で新しい表現を追い求めていったエゴン・シーレ。しかしその新しさの先のまた向こうには、いたってシンプルで当たり前なテーマが横たわっているのを感じます。

私がエゴン・シーレにひきつけられるのは、その斬新な表現方法というよりは、大昔から繰り返し繰り返し芸術と名のつくもののなかで訴えられてきた「愛」だとか「死」だとかいうテーマが、きちんと絵にえがかれているように思えるからかもしれません。「新しさ」というものは、人の気をひいたり、びっくりさせたりするためだけにあるのではなくて、逃れようのない、何度も何度も挑戦するしかない、古来から相変わらずそこに在るシンプルなテーマたちにより近づくための方法であり、そして「方法」の一つにすぎないことを、エゴン・シーレは分かっていたように私には思われました。

澄んだ奇妙な幸福と 得体の知れない不安

人間は孤独であるということと 私たちはつながっているということ

生きていることと 死んでいくこと

こちら側と 向う岸

絵の前でぐらぐらとゆれている自分

つい最近まで絵画のアンテナは私にはないと思っていました。

一生使うことはないと思っていたアンテナが何かを感じ始める瞬間。

年を重ねてゆくことは面白いですね。

生きていくのが楽しみになります!

(詳しくは(。・o・。)ノこちらを参照ください)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホについては こちら

エゴン・シーレについては こちら

グスタフ・クリムトについては こちら

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ブログを再開します

久しぶりにブログの記事を書いています。何だか文章をつむごうとしても、言葉が全然出てこない…。やっぱり、書き続けていないと日本語だって下手になるのかも。

さて、この夏はたくさんの美しいものを見てきました。普段は「本の世界」に埋没している私ですが、目で耳で鼻で舌で肌で、持っているもの全てで、たくさんの国の美しいものと触れ合ってきました。

自分を広げたい、とえらそうなことを言っていた記憶がありますが、とんでもない!!いかに自分の勝手な思いこみで、自分の世界を小さくしていたか、思いしりました。

本の世界に浸るのも幸せですが

行ってみなくちゃ分からないこと

やってみなくちゃ分からないこと

ってやっぱりあるものですね!

どんな美しいものとやらに出会ったのか、あれこれ試しに書いてみたのですが、これが難しいのです。何だか書けば書くほど、ガイドブックの説明になっちゃう気がします。書けば書くほど、美しさから遠ざかっていって俗っぽいものになっていく気がします。書けば書くほど、嘘ばかり並べているような気がします。

というわけで、写真でも貼り付けようかなー(思いっきり逃げてます)と思いついてはみたものの、いつものように私が撮った写真はほとんどなく、夫の撮った写真はあまりにも膨大で選ぶのが大変…。

仕方ない、何とか言葉にしてあらわしてみたいと思います。

私が出会った美しいものたち

ヨセミテ公園の太陽みたいに暖かい巨大な岩。

イギリスのカンタベリー大聖堂。  

湖水地方のフットパスで見た小雨にぬれるシダの群れ。

ビアトリクス・ポター(ピーターラビットの作者です)の家にある、彼女が本当に好きなものだけで飾られた食器棚。

エジンバラのチョコレート色の街並み。

ウィーンで見たエゴン・シーレの絵。

スイスの天へつき出るマッターホルンと

ホテルのベランダから見た花火。

夕暮れのプラハ、カレル橋。

ミュンヘンの路上で聞いた男の子のバイオリン。

オランダで聴いたペペ・ロメロのギター。

ゴッホの絵。

オランダの友達が住んでいる運河に面した家。

うーーーん、今読み返してみましたが、何が美しいだかさっぱり分からない方がほとんどかもしれませんね…。すみません。私の表現力が至らないからだとは思いますが、美しさを感じるポイントが少しずれているからかも…(と言い訳してみます)

面白いことに、私が体験したことが、いつか読んだ本にが出てきたら、もっともっとたくさん感じとれるかもしれないなあ、などと最後にはやっぱり本のことを考えている自分がいたりしています。

参考までに、私が美しいなあ、と感じたものに近い写真を貼り付けておきたいと思います。

Cimg2610_4 ヨセミテ公園

Cimg2897_4 カンタベリー大聖堂

Cimg3031 湖水地方フットパスで見た小川

Cimg3903  カレル橋からみた夕暮れのプラハ

Cimg4536 スイス、マッターホルン

このブログに訪れてくださった方、どうもありがとうございます(*゚▽゚*)。これからまたマイペースにブログを更新していこうと思っていますので、気が向いたらぜひ遊びにきてくださいね。

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