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しばらくお休みします

普段からゆっくりペースのブログですので、心配される方もそう多くはいらっしゃらないかとは思いますが、しばらくの間ブログをお休みします(*^^*)。

本を手にする時間がいつもより少なくなりそうですが

皆さまとまたお会いするその日まで

楽しいことも、そうでないことも、心から味わい

けれどもそれに振り回されることなく

自分がどんな人間になりたいか、問いかけながら

自分のおもう「幸せ」に一センチでも近づけるよう

心を磨いてまいりたいと思います!ヽ(*゜∀゜*)ノ

このブログに訪れてくださった皆さまに

どしどし、じゃんじゃか、幸せが訪れますように。

またお会いできるのを楽しみにしております!ヽ(^◇^*)/ 

偉大なる教え

最近、母の教えの偉大さに気がつくことが多いので、母の日も近いことだし、その教え!を皆さんにもお伝えしたいなあと勝手に思って記事を書いております。

先日こんなことがありました。夫が南米出身の友達に、一緒にサッカーやらないか、と声をかけられました。夫は昔ちょっとだけサッカーをやっていたので、喜んで即参加。しかし、試合開始後10分で、方向を変えようと思ったら右足にばちっという音がはしったそうです。Σ( ̄ロ ̄lll)

話はちょいとそれますが、南米のお友達には「サッカーは子供のころ遊びでやってただけ」という方も多いみたいですが、皆さん体は強いし、プレーは激しいし、ボール使いもうまいそうです。ブラジルもアルゼンチンもサッカー強いはずですね…。選手層の厚さを実感いたしました、はい。

とにかく運動不足なうえに、そんな上手な人たちとプレーしたので、足のきんにくんもついていけなかったんでしょう。お医者さんの診断は「肉離れ」。しかも重度だったので、全治六週間。

松葉杖の力を借りて、びっこをひきながら、しょぼんとしている夫。予定していたことを、キャンセルしたり延期したりしなくてはいけなくなりました。

ここで、母の教えを娘が生かすときがやってまいりました。

夫よ、

「これも人生、 それも運命、 命がなくなるわーけーじゃーなーしー!!」

と歌舞伎調で、母の言葉に私のアレンジを加えて言ってみたところ、

夫は!

「……なに時代の人?」

(´-ω-`)ものすごくひいていました。

でも、少し顔が笑っていた(ように思える)ので、呪文が効いたものと判断しています。

この言葉を三回続けて唱えると、たいていのことは乗り越えられます。(ほんとです)

これでちょっと無理なときは、

これも人生、それも運命、どうせ命は尽きるもの

という私の勝手に創作した別のフレーズを使っています。時と場合によってこの二つを使い分けております。わっはっは(‐^▽^‐)(こらこら)

心配したり不安になったりする自分を止めることはできないけれど、そんな気持ちになっても事実は変わらないんだよ、心配したって仕方がないんだよ、と自分に言い聞かせるのに、ひじょーに効果的な魔法の言葉だと思っております。

それからもう一つ。

「馬鹿、馬鹿言うのが、一の馬鹿!」

という母の名言がございます。子供のころは「ば~か!」とからかってきた相手に言い返すときに使ってました。でも言い方が古くさいので、さらにばかにされちゃってたかも。ヾ(´▽`*;)ゝ"

最近は自分に対して言っています。

自分は何でも知っていると勘違いして(他人を馬鹿にして)

気がついたら世界一の馬鹿になっていないように。

自分のことを自分で卑下して(自分を馬鹿にして)

自分の力を信じることのできない馬鹿にならないように。

若いころは忘れていたけれど、やっぱり親の言葉は心にちゃんと残っているものですね。そしてピンチのときに私を助けてくれます。

「そんなことよりもっと大事なこと、たくさん教えたと思うけどねぇ」という母の苦笑が目に浮かびますが。わっはっは(‐^▽^‐)

さて、前回に続いて今回も私の好きな「茨木 のり子さん」の「自分の感受性くらい」という素晴らしい詩を一部引用させていただいて、きれいに幕を閉じたいと思います。

この詩を読んでいると「茨木 のり子さん」が私たち人類みんなの母親で、そのもう一人の母からメッセージを送られている気持ちになります。

”――

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ”

(この詩が掲載されている本はこちら→自分の感受性くらい

にほんブログ村 本ブログ 洋書へにほんブログ村 本ブログへ (ブログランキングに参加しています。良かったらクリックしてくださいね(*^^*))そして、またまた記事の内容が関係ないですね…すみません。

僕らは朝をリレーしている

いつもまじめでないわけではありませんが、今回は私、おおまじめな話をしたいと思っています(´-ω-`)。

考えてみれば、アメリカの片隅で生きる私のような一介の主婦が、おおまじめーな話をしたいと思って、おおまじめーな話をこうして発信できるなんて、ほんと時代は変わりましたねぇ。

知り合いの人にメールを送ることはできても「ホームページ」をつくるのは何となく専門的で難しそうなイメージがあったので、私にとってこれまでインターネットって、一方的に見るもの、調べるものでしかなかったように思います。「ブログ」というツールができて、私のような(といったら失礼かもしれませんが)専門的な知識がない人でも簡単に自分の考えを発信できるようになりました。いい時代になりましたね(*^-^*)。

一介の主婦でも簡単に始められる「ブログ」。自分の考えを表現することができる「ブログ」。心の通った暖かい交流ができる「ブログ」。この時代に生きていて幸せだなあと思います(*^^*)。

ブログは、インターネットは、世界を変えました。もっと変えてゆくだろうと思います。今なにが起きているのか、どんなことが面白いのか、この事柄の意味は何だろう、知りたいときにネットを使う人はどれくらいいるでしょうか? 世界をうつす窓は今までテレビや新聞だったのに、私たちはインターネットという大きな出入り自由のドアを手に入れました。

世界へ通じるそのドアを開けて、私たちは何を受け取るのでしょうか?

いくつか「ブログ」を紹介したいと思います。

 「Sleepless in Sudan

北アフリカのスーダンで国際援助の仕事をされていた女性のブログ。(スーダンを去った2006年の2月までで終わっています)

スーダンの西部「ダルフール」では現在もなお民族紛争が続いており、2006年の2月の時点で18万人が殺害されたと考えられています。この「民族浄化」とみなされるほどの大量の人民の殺害のほかに、住むところを追い出された大勢の難民もうまれています。食べ物や水も満足にない難民キャンプ、そこで働いていたのが、このブログを運営していた彼女です。(スーダンについては、Wikipediaを参照しました)

  2005/7/11の記事から(一部抜粋して、私が意訳しました)

”紛争によって家を奪われ、難民キャンプに住んでいる男性が言う。

「前からマンゴーは育てていたよ。今年も、俺はマンゴーを植えるってためだけに、身の危険を冒して自分の畑に出かけてた。だけど数週間前、俺らみたいな人間を銃で撃ったり攻撃したり、キャンプの外で始まったもんだから、あんまり危ないんで外出できなくなっちまった。そしたら俺の村に別のやつらが移ってきていて、俺の畑をとっちゃって、俺のマンゴーを市場で俺に売りつけるんだぜ」

私たちは笑うよりほかになかった。男性は首をふり、笑って更に言う。

「俺のいとこなんかもっとひどいんだ。あいつ、自分の畑をとっちゃった奴らからマンゴー買ってさ、キャンプのはずれを歩いてたら、強盗のグループに襲われてさ、金とマンゴー盗られちゃったんだ。あいつ、自分でマンゴー育てて、そのマンゴーを金払って買って、結局手元に何にも残らなかったんだ」

悲しいことだけれど、でも、私たちはこれにも笑わずにはいられなかった。”

スーダンの人々への敬意を忘れずに働く暖かいハートを持った彼女と、どんな悲惨な状況でも明るさを失わない現地の人々とのやりとりに思わず画面の前で微笑んでしまいます。

 「Baghdad Burning

イラクに住む女の子のブログ。ご存知の通り、2003年、アメリカを中心にイギリス、オーストラリアなどが加わり、イラクに侵攻をはじめました。「テロ国家からイラクを解放する」はずが占領政策はつまずき、バグダッドを中心に都市は一時「無政府状態」となり、イラク国民の生活はかえって危険に冒されるという悪循環をまねいています。(情報はWikipediaを参照しました)

 2003/8/19の記事から(一部抜粋し、私が意訳したものです)

 今日バグダッドの北西部「Anbar」で一人の子供が殺されました。彼の名前は「Omar Jassim」。10歳か11歳の男の子です。誰かこのニュース聞いた人いますか? 「Fox News」や「CNN」でこのニュース流していますか? 男の子はアメリカ軍による「手入れ」(住民の家などに予告なしにいきなり踏み込み、武器や抵抗勢力の人々を隠していないか調べること)の捜査ちゅうに殺され、誰もその理由は分かりません。家族はうちひしがれています。その家では結局何も見つからなかったので、アメリカ軍は何もとってはいきませんでした。みんな「手入れ」を恐れています。何が起こるのか、誰が撃たれるのか、間違った反応をしてしまったら…、どういう反応をしたらいけないのか…。

こんな風に言う人がいるでしょう。「アメリカ軍はあなたのためにこういうことをしてるんですよ! あなたのために『手入れ』をしてまわっているんです!」でも本当のことをいうと「手入れ」はあることだけのために行われています。彼らは繰り返し私たちにこう念を押してるんです。私たちは占領下におかれている、私たちは独立できていない、私たちに自由はない、私たちは解放されていない…。

―― 最後に彼女はこう結んでいます。

"I just wish they would take the oil and go..."

 

地球のどこかで普通の人たちが思ったことを、たくさんの人が知ることができる。インターネットでやっぱりすごいと思います。

「でも、待って! これって個人のブログでしょ。信憑性はどうなんだろう。こういうの信じちゃうと、今に噂が本当のことみたいに語られちゃってふくれあがって、すっごく怖いと思うなあ」

「それに、主婦とか学生とかその辺に住んでる普通の人たちの見方って偏ってるんじゃない? 新聞や雑誌みたいに、きちんとした人が書いて、きちんとした人たちがチェックしているわけじゃないし」

そうかもしれませんね(*^^*)。上に紹介したブログの記事も、意訳をした私のフィルターもかかっていますし、信憑性が欠けているかもしれないし、偏った見方で書かれているかもしれません。

そういうことをきちんと頭に入れて、インターネットをつかうことは大切なことだと思います。

みなさん、ここはひとつ、「でも」も「それに」もひとまず置いときませんか?(って強引だけど)

男性も女性も、88歳も12歳も、日本人もアフリカ人も、主婦もOLも、パイロットも大工さんも、みんな同じ「人間」です!(すごい大ざっぱですが)その同じ「人間」が発した声を、ちょっとだけ聴いてみたいと思いませんかヽ(^◇^*)/ 

世界はこんなに広いのに、

私たちはこんなに近づくことができます。

私たちはこうしてつながることができます。

怖がらずに、恥ずかしがらずに、「幸せ」の方にきちんと顔を向けて、自分の頭で考えて、真剣に良いものを選択し、正直に、かっこつけないで、どんなことでもいいから自分の気持ちをたくさんの人に伝えると、もしかしたら私たちの人生やこの世界が、すこーしずつ変わっていくんじゃないかなー。

インターネットというドアを開けて、何を受け取り、何を伝えるのか、私たちは選ぶことができます!ヽ(*゜∀゜*)ノ

ここまで一介の主婦のおおまじめーな話を読んでくださった方、ありがとうございました。

最後は、私の好きな「谷川俊太郎さん」の「朝のリレー」という素晴らしい詩を一部引用させていただいて、さわやかにしめたいと思います♪

――

ニューヨークの少女が

ほほえみながら寝がえりをうつとき

ローマの少年は

柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では

いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ

経度から経度へと

そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと

どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている

それはあなたの送った朝を

誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

(この詩が掲載されている本はこちら→あさ/朝

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Water for Elephants

去年の話題作のうちの一冊に挑戦!(*゚▽゚*) 「BookSense.com」で、Book of the Year に選ばれました。

Water for Elephants Book Water for Elephants

著者:Sara Gruen
販売元:Algonquin Books
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ページ数: 331ページ

作品区分: 文学

―― 私は90歳である。もしくは93歳。そのどちらかだ。移動は車椅子。施設での生活。ときどき、子供や孫たちが会いにくる。ある日、近くにサーカス団がやって来た。入所したての新入りが言う。「昔、象に水をやったものだよ」 あんたは嘘つきだ! 象がどれくらい水を飲むか知っているのか? 

七年近くサーカスで働いていたことを、私はあまり人に話さない。口がすべりそうで怖いからだ。七十年間、私はあの「秘密」を誰にも話さず自分の心にしまいつづけてきた。

―― 23歳の私「Jacob Jankowski」は、名門大学に通い、父親にならい獣医学を学ぶ幸せな青年だった。しかし、とつぜん状況は一変する。両親が事故で死亡。そして借金をしていたことが判明する。無一文の孤児となった私はある夜、汽車に飛び乗った。それは「Uncle Al」率いるサーカス団の列車だった。獣医学を学んでいた私は、サーカス団の動物の獣医として働くこととなり、動物と曲芸をする美しい女性「Marlena」と出会う。動物たちを管理する責任者の「August」は彼女の夫。気性が激しく、ころころ態度の変わるAugustに私はだんだん嫌悪をつのらせていく。

ある日、サーカス団に象「Rosie」がやってきた。Rosieは人の指示が理解できず、曲芸ができず、サーカス団にいた経験もない売れ残りの象だという。でもRosieは、本当に人の気持ちが理解できない象なのだろうか…。

―― サーカス団で待っていた私の人生とは? 誰にも話していない「秘密」とは?

作家について

Sara Gruenはカナダで生まれる。現在アメリカ、イリノイ州に在住。本作品が三作目の長編小説。

作家のHPはこちら

感想

この作品の魅力は、何といってもまず舞台が「サーカス」だということ。列車で国内をまわるサーカス団、目的地につき大きなテントを設営する様子、呼び込みの大きな声、それを聞いて集まる人々の熱気や興奮、サーカスに出る檻のなかの動物たちのにおい、読んでいるうちに目の前に世界が立ち上がってきます。さらにサーカスですから、登場人物たちがミステリアスで個性的でないわけがありません。けれどあまりにも現実離れした人間をえがかずに、そこに普通の人々が持つ生活、悩みがうまく取り入れられているように思いました。

それから物語の展開がはやくて、ドラマティックだということ。「90歳余りの現在の私」と「若き日のサーカス団での私」が入れかわり立ちかわりあらわれます。「私」の老人施設での周りの人とのやりとりも、サーカス団で身にふりかかる出来事も、どちらも流れがはやく、アップダウンも効果的につくられていて、波にのるとページをめくる手が止まらなくなってしまいます。人の気持ちや心がじっくり書かれた小説も好きなのですが、こういうぐんぐんストーリーに乗れてしまうような小説もやっぱり良いですね!

名門大学の学生が、両親を失くし、無一文になり、学校に通えなくなり、サーカス団で暮らしをたて、しかも「世界大恐慌」が起こった時代で生活は楽ではなく、90歳余りになった今、施設で生活しています。車椅子で移動し、子供や孫たちが定期的に会いにきますが、家族の一員になれていない寂しさを感じています。今の世の中の価値観では、もしかしたら主人公を「不幸せ」だと考える人が多いかもしれません。けれど私はこの本を読んで、彼のことをどうしても「不幸」だと思えませんでした。この作品では、出てくるものたちが皆、思うぞんぶん怒ったり、嫉妬したり、ねたんだり、欲にふりまわされたり、泣いたり、笑ったり、喜んだり、愛したりしています。

「幸せ」って一体どんなことをいうのだろう。

そんな問いかけを感じる作品でした。

I don't talk much about those days. Never did. I don't know why-- I worked on circuses for nearly seven years, and if that isn't fodder for conversation, I don't know what is.

Actually I do know why: I never trusted myself. I was afraid I'd let it slip.

この作品は「BookSense.com」でBook of the Yearに選ばれています。「amazon」をはじめとするネット書店や大型チェーン店が圧倒的な勢力を誇っているなか、それに負けじと独立系の本屋さんが手を組んで運営しているサイトが「BookSense.com」です。売れ筋の本ばかりでなく、ユニークな作品もピックアップされていて、私はいつも見るのを楽しみにしています。最初のページの「本を読む人」が、おばあちゃんになったり、女の子になったり…。見るたびに変わって、かわいいんですよ!

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