アメリカから帰国したら『古典』に挑戦してみようと、うずうずと思っていました。
アメリカで暮らして、日本の良さを改めて認識するというのはありがちですが、私もまたそのありがちな人たちの一人だったわけです。
アメリカというのは、やっぱり良い意味でも悪い意味でも”新しい国”なんだと思う。アメリカ人が、ヨーロッパやアジアの文化にほのかに憧れを抱くというのは分かる気がします。
英語もうまく読みこなせないくせに、えらそうなことを分もわきまえず述べてしまうと、日本語の奥行きのある感じ、一枚向こうにまた何かにおわせる力を感じる部分は、そのまま歴史の長さ、奥深さにつながるような。
そのくせ、実際に帰国しても、私は『古典』と呼ばれる作品に手が伸びないでいました。久しぶりに帰ってきた日本には、現代の面白そうな本があふれています。
そんなときに会った友人がこんなアドバイスをくれました。
「今は『古典』の作品をテーマにした面白い本がいっぱい出てるから、まずはそういう本を読んでみて、興味があったら実際に読んでみたら」
確かにそうです! 私はどうも変にかたくなで、肩に力が入っているというか視野が狭いというかそういうところがあるようです。
『古典』のなかでも特に挑戦してみたいと思っていたのが”源氏物語”です。私のお気に入りのブログ<英語は楽し>でさくらさんが、英語で”源氏物語”を読むことに挑戦されています。それまで恥ずかしながら漫画の”あさきゆめみし”しか読んだことがなかった私ですが、さくらさんのブログで<源氏物語=華麗な恋の絵巻>というイメージが少しずつ変わってきました。
さくらさんのユーモアあふれたつっこみを楽しみながら、源氏物語には、毒があり、滑稽な人間模様あり、そして悲しい人間の性がありと、奥の深い豊かな物語であることが分かってきてどんどん興味がわいてきました。
友人から大塚ひかりさんという名前を教えてもらい、本を検索して何だかほっとしました。この表紙、この題名、私でもとっつきやすそう。
目次を読んでもらえれば、その面白さは十分分かっていただけると思います!
・光源氏 実は昔からもてなかった彼
・頭中将 体育会系男の女々しさと律儀さ
・柏木 「悪役」光源氏の引き立て役
・夕霧 俗物化していく息子
などなど。他の登場人物についても、大塚ひかりさんは、サイテー男たちをバッサバッサと斬っていきます。
そして、この本の副題は”親子物語としての源氏物語”。
源氏物語は、光源氏の両親の物語から始まります。
『源氏』が常に現代的なのは、そうした時代的な悲劇が、桐壺帝という個人の悲劇として描かれ、さらにその苦悩が、子供や孫、曾孫といった子孫達に受け継がれ繰り返されていくところだ。
そして、親子物語は、光源氏の長男夕霧と、頭中将の長男柏木に続いてゆきます。光源氏と柏木、頭中将と夕霧、という形で、まるで血筋が受け継がれるかのように、たがいちがいに似通っている点を指摘し、大塚さんは次のように述べています。
親は子に、自分が果たせなかったものを求め、子はそれに反発しながらも、無意識のうちに親の望みに応えようとする。そして身をあやまち、ときに親の期待とは正反対のねじれた結果を招いてしまう。そうして獲得した子供の世界が、親の世界と比べてどれだけましかというと、場合によっては親以下だったりする。そんな悲しい親子の仕組みが『源氏物語』にはある。
どきりとしました。これから親になる予定の身。
更に、父方も母方も共に敗北者の系譜上にあるという、薫の暗い人生へと指摘は続いてゆきます。
元気にお腹で動いている赤ちゃんに、私はこう思います。
無事に元気に生まれてきてくれますように。
それだけでもう十分。
押し付けず、導くことができますように。
刷り込まず、育むことができますように。
とはいえ、大昔から読み継がれている『源氏物語』に書かれているくらいだから、親の子への愛というものはそんな風に頭で考えるような理想通りにはいかないことでしょう。
『源氏物語』に出てくる人々のように、悩み、苦しみ、時には涙を流し、一方で生きる喜びに震えながら、体ごと経験しながら生きていくしかないのかもしれません。
けれど、やはりまだ甘いのかもしれませんが、それでも私はこれからの親になるであろう自分の人生が楽しみで仕方がないのです。
改めて紫式部という人はすごい才能の持ち主だったのだなあと思いました。そして、大塚ひかりさんのこの本は、表紙のイメージとはほど遠い(というのは失礼ですが)読み応えのあるずっしりとした本でした。
興味のある方は、ぜひさくらさんの<英語は楽し>もご覧ください!
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